「やわらかさの中にも」 ポエトリーカフェ参加の記 第7期の5 (石垣りん篇)

 2月26日に開催されたポエカフェの詩人は石垣りんさんです。りんさんファンの連れ合いアンジーと一緒の参加です。あれから1週間以上たってしまいましたが、余韻覚めやらぬ状態です。石垣りんさんの改めて大きさを感じる回でした。りんさんの生涯については、今回も「古書ますく堂」さんがブログでうまくまとめってくださっていますので、ぜひご覧ください。

 「二月には/土の中にあかりがともる」石垣りんさんの死後に出版された詩集『レモンとねずみ」に収められた「二月のあかり」の冒頭です。2月26日に開催されたポエカフェ石垣りん篇での朗読くじで当たったのがこの詩でした。第1詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』から出版された順にりんさんの詩を皆で読んでいく中で、最後に近いところでの朗読です。それまでの、社会や女性の立場について、または、家族についての時に辛辣で、厳しく、また重く迫ってくるりんさんの詩とは、異なった感覚を受けます。それだけに、印象に残った詩となりました。

 一読した印象は「やわらかい」ということでした。二月の土の中にともるあかり。春はまだ姿を見せない中、やがて来る春に備えている土の中のお母さん。夜の明けぬ内から子供の遠足の準備をする母親の姿に重ねて歌われています。

 晩年の詩なのでしょうか。この詩を書いた時、りんさんの目に何が映っていたのかと考えさせられます。戦争を経験し、若い時から男性社会の中で働き続けたりんさん。「表札」に代表されるような背筋の伸びた、キリッとした詩がよく知られているでしょう。「表札」の最終連「精神の在り場所も/ハタから表札をかけられてはならない/石垣りん/それで良い。」の鋭さ、いさぎよさに惹かれます。

 わたしにとって、ポエカフェに参加するようになる前から読んでいた数少ない詩人です。朗読音源を聴いて、その朗読に引き込まれたものです。りんさんの詩に出会って十数年になると思います。そんな中での今回のポエカフェでした。皆さんがどのように読まれるのか、どのような感想が出るのか、いつにもまして興味がありました。初参加の方も含め、とても盛り上がった会となりました。りんさんの詩が、皆さんの発言を引き出していったようです。

 皆さんの発言を書き留めていっているのですが、いつもよりメモの数が多くなりました。それだけ、りんさんの詩が、お一人おひとりに届いているのではと思います。「これが一番好き」と言って朗読する方。自分の状況と比較してあまりにも辛いのでと、くじを交換された方。詩の力を強く感じる時でした。今も読まれるべき詩人という発言もありましたが、本当にそう思います。だからこその盛り上がりでしょう。

 朗読されなかった詩に『やさしい言葉』の「川のある風景」があります。「夜の底には/ふとんが流れています/」と始まります。「川が流れています。/深くなったり/浅くなったり//みんな/その川のほとりに住んでいます。」と閉じられます。この詩もとても気になっています。

 『レモンとねずみ』の巻末に収められた「石垣さん」という谷川俊太郎さんの詩があります。そのなかに「私は本当のあなたに会ったことがなかった」という1行があるのです。本当の石垣りんに会ったことがある人はどのくらいいるのだろうかと思います。

 詩一篇、一篇から受ける感動とは別に、石垣りんという詩人のイメージ、なかなか焦点が定まりません。銀行員としてのりんさん。組合活動を活発にしていたりんさん。家族の全てを背負っていたりんさん。一人の女性としての晩年のりんさん…。苦しさを扱う詩でも、決して否定しないりんさん。独特の強さを思います。それは冒頭にあげた「二月の明かり」のやさしさの中にも息づいていると思うのです。その強さの奥底にあるものが知りたくなります。エッセイを含め、もっともっと読みたくなる詩人です。

 さて、次回は尾形亀之助とのこと。これまた楽しみです。

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「時代を越えて」 ポエトリーカフェ参加の記 第7期の4 (吉原幸子リターンズ篇)

 通常は、月1回のポエカフェですが、今回は熱烈なリクエストがあったようで、1/22に開催された吉原幸子篇のリターンズが、早くも2/11に開催されました。本編の吉原幸子篇の時、取り上げる詩人投票で吉原幸子さんに一票を入れた身としては参加しないわけにはいきません。しかも、前回終了後、連れ合いのアンジーに、「よかった、よかった」を連発していたものですから、アンジーもリターンズには何が何でもの意気込みでの参加となりました。

 いつもと違い、土曜日の昼間の開催。神田伯剌西爾さん界隈も日曜の夜とはまったく違った雰囲気です。伯剌西爾さんの店内、いつもとは違うスペースをお借りしての開催です。ちょっと狭いけど、参加者の皆さんの声がよく聞こえ、親密度も増すような感じで、これもまた良しです。膝を付き合わすような狭い会場で開催したこともある初期の頃のポエカフェを思い出したりもしていました。

 さて、今回も吉原さんのご子息・純さんが参加してくださり、参加する身としては、感謝感謝です。

配布された資料、年表は同じですが、詩は六篇が新しくされていました。ポエカフェ初参加の方も含め、恒例の自己紹介から会は始まります。Pippoさん以外13名の自己紹介なのですが、おそらくポエカフェ史上でも、一番時間をとった会の一つとなりました。でも、それが飽きないから不思議な空間です。ここに入ると、何かが引き出されてくるのでしょうか。

 会自体はいつも通りに年譜で生涯を振り返りながら、朗読くじで当たった作品を朗読・感想という形で進みます。年譜の紹介中、純さんが適宜面白いコメントを挟んでくださいます。前回聞いたこともあるはずですが、純さんの幸子さんへの想いが込められたコメントに、時には笑いもありで、引き込まれていきます。こんな機会、90回以上開催されたポエカフェでも、滅多にあることでは、ありません。改めて、これだけでも幸せな時間でした。更に、お持ちいただいた写真や資料がすごすぎます!大きく引き伸ばしてお持ちいただ写真の幸子さんのカッコイイこと!これを見られただけでも参加してよかった!!このあたりのこと、今回も古書ますく堂さんのブログを是非ご覧ください。

 今回の朗読くじで当たったのは、『魚たち・犬たち・少女たち』より、「死ぬ母 ― さらばアフリカ」でした。ご子息の話では、『昼顔』の「街」が転機となっており、これはそれ以後の作品となります。たしかに作風の変化を感じます。「わたしを殺したのなら/わたしをたべてください/いちばんおそろしい猛獣たち にんげんよ」で始まるこの詩。角を取られ、砂の上で朽ちていく母が捕らわれ檻の中にいる息子のことを思う歌という体裁です。諄々と語られる思い。「です・ます」調で綴られる言葉の中、1箇所だけ「それが礼儀だ」と強い言葉が突然現れます。

 この詩を朗読する中で、改めてこの「それが礼儀だ」に込められた怒りとも悲しみ共言える感情が強く迫ってきました。朗読中、この箇所に差し掛かった時、一瞬、ひるみました。どんなに読もうとも、この言葉にかなわないと。

 『幼年連禱』の中の「IX 空襲」も心に残りました。それは「人が死ぬのに/空は あんなに美しくてもよかったのだろうか」と始まり「戦いは/あんなに美しくてもよかったのだろうか」と閉じられます。東京大空襲が背景にあるようです。この最初と最後に挟まれた部分では、「あんな大きな夕焼け」「反射の ぜいたくな 幻燈(スクリーン)」「どこからか さんさんと降りそそぐ 金いろの雨」といった表現があります。

 焼夷弾が降りそそぐ下では、地獄絵図が繰り広げられています。しかし、遠くから見るなら、さまざまな光と色の共演しか見えません。幸子さんは、その「美しい」光景の下で何が起っているかを知っていたはずです。だからこそ、その前後を「美しくてもよかったのだろうか」と挟んでいるのでしょう。「美しくても」の「も」が残ります。この詩に時代を越えた普遍性を感じます。

 この詩だけでなく、生きること、死ぬことに向き合い続けた幸子さんの、それでいて、しんが揺らぐことがないゆえの普遍性を改めて強く感じ、もっともっと、読み継がれていってほしいと思いが残るポエカフェでした。

さあ、次は26日の石垣りん篇です。待ち遠しい!

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「『痛いいのち』を抱いて」 ポエトリーカフェ参加の記 第7期の3 (吉原幸子篇)

 今年最初のポエカフェは、1月22日に開催されました。今回は、PippoさんがTwitterで挙げた3人の女性詩人からアンケートで選ばれた吉原幸子篇です。Pippoさんの著書『心に太陽をくちびるに詩を』にも取り上げられた詩人です。本にまとまる前の連載時から気になっていた詩人で、すこしづつ追っかけていたこともあり、吉原幸子に1票入れました。ですので、ワクワク感はいつもより高めだったかもしれません。その上、ご子息の純さんが参加してくださるというのです。期待が高まらないわけがありません。

 少し早めに会場の伯剌西爾さんに着いたところ、一般のお客さんが帰るまでお店の片隅で待つことになりました。すると、そこに「初めてです」という男性がお一人。常連さんも次々集まってくる中、お店の切り替えも終わり、席に着くとその男性はPippoさんの席のそばに。Pippoさんから資料が配られた後、その方が最初に紹介されましたが、何とご子息の純さんでした。知らずに隣の席に座った私ですが、「やった!」とこころの声が聞こえたような。

 伯剌西爾の店長さんが用意してくださったお菓子(とても美味しかったです)を注文しながら、自己紹介の始まりです。まずは、純さんからでしたが、ご子息ならではの思いを込めた自己紹介に、この部分だけでも来てよかったと思えるほどです。

 年表を参考にしながら、吉原幸子の生涯を追っていきます。この辺り、いつものように古書ますく堂さんがブログにうまくまとめてくださっていますので、是非、ご覧ください。その間にもご子息からの情報が入ります。劇団四季では天本英世と同期だったとは!原宿に住んでいらっしゃたころのことを話されるご子息。そのころの原宿の雰囲気を思い出しながら聞いていました。

 生涯の紹介とともに、いつもの通り朗読くじで当たった作品を各自が朗読します。一番くじを引いたのはなんとご子息。作品は処女詩集『幼年連禱』から「無題(ナンセンス)」です。ゆっくりと、間をおきながら、言葉をとても大切に読んでゆかれます。この朗読から受けたものを表現する言葉を持ち合わせていないことが悔しいと切実に思います。ただ「スゴイ!」としか言えません。

 私が当たったのは『幼年連禱』から「I あたらしいいのちに」です。吉原幸子が、ご子息を身ごもっている時に作られた作品です。詩集ではこの後、一連の「Jに」という詩が続きます。もちろん「J」とはご子息のこと。母親としての吉原幸子の詩です。

 しかし、ご本人を前にして、この詩を朗読することになろうとは…。なんとか朗読を終えましたが、詩の力に圧倒されて感想がうまく言葉になりません。「おまえにあげよう/ゆるしておくれ こんなに痛いいのちを」と始まります。「それでも おまへにあげた/いのちの すばらしい痛さを」と続きます。これが第1連。最終連の4連目は「ぎざぎざになればなるほど/おまへは 生きてゐるのだよ」と始まります。吉新幸子自身が、「ぎざぎざ」になりながらも、懸命に生きようとした人なのでしょうか。生まれ来る我が子に、このような言葉をかけられる人の生き様を思います。

 ご子息のお話の中で、わたしにとって興味深かったのは、第3詩集の『オンディーヌ』、第4詩集の『昼顔』を好きな方は、これ以外の詩集を好まないということでした。この2冊、ちょっと異質でどろどろしているとの事。現代詩文庫で読んだだけですが、たしかに異質な感じは受けました。個人的には、この2冊好きなのですが、他が嫌いかというとそうではないのです。ただ、心に響いてくる場所が違う様な気がします。今回の資料にはありませんでしたが『昼顔』の中から「・・・」と「蠟燭」も心に残っている詩です。

 私の読んでいる範囲ですが、いのちと死に向き合い続けた方なのではと思います。それも抽象的なものではなく、自分の肉体を通してという印象を持っています。女性としての自らの肉体を正面から見つめつつ、人としての悲しさと切り結んだ方なのではとも思います。

 2月11日には、リクエストに答えてのリターンズ篇が開かれるという嬉しいニュースがありました。もちろん参加します。もっと、もっと知りたい詩人です。

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「美しき空っぽに魅せられて」 ポエトリーカフェ参加の記 第7期の2 (吉井勇篇)

 今年最後のポエカフェは久しぶりの吉井勇でした。Pippoさんの大好きな『パンの會』の中心メンバーの一人です。パリのサロンのようなものを日本でもと始められた『パンの會』。その代表人物の一人とも言える吉井勇。歌集を30冊も残し、1960年まで生のある限り作歌を続けた吉井勇です。『パンの會』に関わる詩人・歌人としては北原白秋や木下杢太郎が既に何回か取り上げられていますが、吉井勇は2回目です。

 体調を崩した方の急なキャンセルもあり、いつもより少し少ない人数でしたが、ポエカフェの雰囲気はいつもと変わらず、参加者を包んでいきます。伯剌西爾さんの用意してくださったお菓子も美味しく、参加者の方々の朗読や感想を聞いているうちに、時間は今回もアッと言う間に過ぎ去って行きました。

 15歳から最晩年までの作品群からPippoさんが厳選した135首が資料に並んでいます。朗読くじには、5~10首くらいが並んでいます。そのなかから選んで朗読です。ちょっと自分の感性が試される?気分もあります。

 ここまで書いてきて、吉井勇の素晴らしさ、心に残ることをどう表していいかわからない自分に気がつきました。決して作品がつまらなかったり、得ることがなかったりというのではありません。、むしろその正反対なのです。今回のポエカフェが終わって、数年前からの『短歌研究』に細川光洋氏の『吉井勇の旅鞄』という連載があったことを知り、クリスマスで忙しい時期でしたが、隣市の図書館で掲載誌を漁るという行動に駆り立てられています。(今年の11月号にも特集があります)

 前回取り上げられた時も、気になる人物ではありましたが、今回ほどではありませんでした。吉井勇の句を評する言葉として、「美しきからっぽ」という言葉が紹介されました。たしかに私が朗読くじで当たった『酒ほがい』所収の歌など、その代表格かもしれません。「わが胸の鼓の響きたうたらりたうたうたらり酔えば楽しき」という歌が紹介されていました。たうたらりの繰り返しが残ります。「いくたりの男のために取られたる手かは知らねど我も取りたる」勇がとった手の相手はどのような女性でしょうか。母音の「お」と「う」が想像と思いの世界を作っているように感じます。しかし、歌われている世界について、「それがどうした」と言われれば、答えに窮するのではないでしょうか。

 吉井勇の素晴らしさのひとつとして思い当たるのは、日本語としての音の、特に母音の扱いのような気がしています。予習を兼ねて全歌集を読んでいたのですが、途中からふと、字を追っていくのではなく、音読、ないし心の中で音を響かせながら読むようにしてみました。そうしてみると、不思議と歌が入ってくるように感じるのです。短歌の定型を崩すような歌はありません。突拍子もない表現もありません。しかし、音を、しかも句の切れ目を意識しつつ、少し伸ばすように読んでいくと心地よいのです。(昔聞いた百人一首の読み方を思い出しながらです。朗読の時、そのような読み方でとも思いチャレンジしましたが、うまくいきませんでした。)吉井勇の句を評する言葉として、「美しきからっぽ」という言葉が紹介されました。その「美しさ」の一端を垣間見たように思うのです。若い頃の酒に溺れ、花街に遊んだ頃の句も、流浪の旅の中で読んだ句も、その点では変わりないように感じます。

 「京に老ゆ」で始まる連作もそうですが、紹介されていた中でもすごいのが『天彦』に収録されている「寂しければ」に始まる連作です。実に72首もあるのです。全歌集でこれを目にした時、圧倒されました。今回の資料には8首が載せられていましたが、同じ言葉で始まりながら、これだけの数を詠める勇の世界の広がりが伝わってきます。それでも日本語としての音の美しさの中に収められています。おそらく吉井勇の日本語における音に魅せられたとも言えるかもしれませんが、もちろん、音だけでもないのです。

 戦後も活躍し続け、宮中の歌会の選者にまでなっている吉井勇。高らかに思想を込めることなく、美しき空っぽの世界を表に出しながら、気がつくと奥深い世界に取り込まれているように感じています。日本語の表現者として、まだまだ、追っかけ続けたくなる歌人と思っています。

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「鳥に導かれて」 ポエトリーカフェ参加の記 第7期の1 (鳥の詩篇)

 11月26日、Pippoさん主催のポエカフェ、鳥の詩篇@我孫子に参加してきました。前回の参加が7月でしたから4ヶ月ぶりです。ポエカフェ禁断症状がかなり強くなってきていましたので、ひときわわくわくしながらの参加となりました。そのためもあって(?)、10時からの開催なのに、9時過ぎには我孫子駅に着いてしまいました。会場のブックカフェNorthlake cafe& Booksさんに行くには早すぎるので、途中の手賀沼公園に立ち寄りました。午前の日差しを浴びながら、水鳥たちが遊覧船乗り場のそばで泳ぎ、飛び回っています。今回のポエカフェは鳥の詩がテーマ。この風景にほっこりすると同時に、期待はたかまります。

 少し歩いて会場に到着。Northlake cafe& Books、いい佇まいです。お店の外と入って左側には魅力的な本が並んでいます。既にPippoさんはじめ参加者も数名おられます。カウンターを背に、テーブルを挟んでちょっと左右に長くなりながら、着席。いつものように自己紹介から開始です。

今回は、一人の詩人を取り上げるのではなく、Pippoさんが幅広く選んだ「鳥の詩」が題材です。資料にはホイットマンから始まり、現代短歌までが収録されています。いつもながら、このようなテーマ別ポエカフェでのPippoさんの収集力には感嘆します。

 詩人の生涯に関する紹介がない分、取り上げられた詩を、参加者が次々に朗読し、一言感想を話しながら会は進みます。朗読くじで当たった詩を読むのもいつも通りですが、なぜかいつもよりドキドキします。私が引いたのは金子光晴の「かつこう」でした。くじを開けた瞬間、「ワッ!!」と思います。好きな詩が当たったのは喜ばしいのですが、かえってどう朗読できるかドキドキです。まあ、大した朗読はできませんが…。3連目「霧につゞいている路で、/僕は、あゆみを止めてきく。/さびしいかつこうの声を。/みじんからできた水の幕をへだてた/永遠のはてからきこえる/単調なそのくり返しを。」で、かつこうの声と共に時空を超えた世界へと誘われます。「みじんからできた水の幕」が今とのつながりの中で心に残ります。最後の2行は「かつこうがなゐている。/かつこうがなゐている。」と繰り返されます。今に引き戻されるかのようです。

 朗読くじ、交換しても良いのですが、向かい合わせに座ったお二人が、お互いの好きな詩を引くという驚くべき(?)出来事も起きました。お二人、嬉しそうに交換して朗読なさっていました。こんな自由さも、ポエカフェの良いところです。

 一人の詩人を取り上げる回と違い、テーマ別の会の楽しみは、いろいろな詩人に出会えることです。わたしにとっての嬉しい出会いは高良留実子の「木」でした。最近、現代詩文庫から「続・高良留美子詩集」が刊行され、ちょうど読み始めたところでした。心ひかれる詩人との印象を持ち始めていたところでしたので、不思議な感覚です。

 プレヴェールの「鳥さしのうた」、ブローディガンの「スワンの日々に」、大江満雄の「一つの世界を」、新美南吉の「墓碑銘」等が、今の私に響いてきます。ペンギンを名乗るものとして嬉しかったのは、高田敏子の「ペンギン」が入っていたこと。「飛べないつばさをふりながら/とてもとても遠い彼方を」見ているペンギンの姿が浮かびます。

 楽しい時間は、あっという間に過ぎます。それでも今回はポエカフェ本編だけでは終わらない楽しい時間が控えています。Northlake cafe& Booksが提供してくださった「豆と挽肉のカレー」のランチが、とても美味しく、近かったら、これを食べるためにも通ってしまいそうです。セットのコーヒーも美味しくいただきました。

 更に、楽しい時間は続きます。ここで個展を開いておられる海津さんの案内での手賀沼散歩です。あらかじめ準備してくださったコースは、興味深い場所の連続でした。文学に関わりのある場所を中心に、手賀沼周囲の崖(はけ)をのぼったりおりたりしながら、自分がどこにいるのかは分からなくなっていますが、出会う場所に惹かれて、そんな事どうでもよくなります。ここまで準備してくださった海津さんに、心から感謝です。

 最後は、手賀沼のほとりにでました。少し日が傾いてきた手賀沼の風景もまた良しです。海津さんから、鳥の種類を教えてもらいながら、歩きます。時には、人懐っこく寄ってくる鳥までいます。Pippoさん、その子に話しかけてたような….

 そうそう、途中で立ち寄ったお煎餅屋さんのお煎餅、お土産に買いましたが、上品な良いお煎餅でした。不思議な集団がいきなり立ち寄ったので、お店のおばあちゃん、驚かれたことでしょう。

 いつもより長くなりました。あの日から1週間以上たち、既に次回12月の告知も出ていますが、今もあの時間が暖かく思い出されます。

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