「ゆっくりと」 ポエトリーカフェ参加の記 第7期の7の2(山崎方代プチリターンズ篇)

「ゆっくりと」

 ポエカフェは先月15日が第7期の最終回で第8期第1回は、9月と聞いていたのですが、なんと、7月の都留での開催に来られなかった方々を含め、山崎方代さんリターンズを求める声が多く、8月5日にさっそくのリターンズ開催となりました。開催のお知らせがありました。正式の告知を待っていようかとも思ったのですが、もしかすると申し込みが間に合わなくなる可能性があるのではと、TwitterでPippoさんに参加希望を出したところ、既に10人近くの方から申込みありとのこと、危うく間に合わなくなるところでした。山崎方代さんの人気恐るべしです。

 7月の会に参加しておられた方がわたしと連れ合いのアンジーを含めて半数近く。初めての方も2名おられる会となりました。都留での会をアレンジしてくださったCさんもいらっしゃいます。改めて感謝を述べました。Twitterでお名前を知っていても初めてお会いする方もいらっしゃいます。こんな出会いも楽しいものです。会場はいつもの神田伯剌西爾さんですが、通常営業もなさっているので、レジ脇の小部屋を貸切にしての開催となりました。ご自身も短歌を詠まれ、方代さんにもお詳しいと思われる方もおられます。とても参考になる意見を聞くことができました。

 資料は、都留での開催時と変わりはないのですが、Pippoさんの説明を聞きながら確認していくと、前回見落としていたような点にも気がつきます。もしかして、Pippoさん自身も少しバランスを変えていたのでしょうか。参加者とのやりとりの中で、改めて気がつく箇所もあります。特に、山梨にいた頃の方代さんの両親との関係や暮らしぶりが印象に残ります。そこから戦傷を負って引き上げてきてからの生き方がどうつながっていったんだろうと考えさせられます。右目を失明し左目も0.01の視力しかなくなった方代さん。父親も方代さんの出征中に死亡しています。のちに、両親の墓を立てることに熱心だった方代さん。故郷や家族への思いを考えさせられます。

 歌人としての評価は、かなり歳をとってからのことになりますが、自費出版した第1歌集『方代』を面識もない多くの知名人に贈呈し、会津八一からの葉書に大喜びする方代さん。鎌倉で建ててもらった小屋に来客があれば、方代さん流の仕方で、精一杯喜ばそうとする方代さんの姿もあります。不思議と支援者が次から次へと?現れてくる方代さん。何が人々を引きつけていたのだろと考えてしまいます。

 今回の朗読くじで当たったのは、第3歌集『こおろぎ』から取られたものでした。17首ある中から迷いながら次の二首を選びました。「なんとなく送ってしまった生涯を腕を拱いて見おくりたり」「暮れなずむ夜ともなれば鎌倉の世間へ出でて皿を洗います」です。前回心にかかった歌として「おのずからもれ出る嘘のかなしみが全てでもあるお許しあれよ」を挙げましたが、それと合わせて方代さんの生き方が嘘を越えて垣間見える歌ではないかと思って選びました。

 都留での会の参加記に「惹きつけられながらも、その理由が自分にもわからない。そんな状態が続いています。」と書きましたが、その状態はまだ続いているようです。そんな簡単にはわからないよという、方代さんの声も聞こえてきそうです。「おのずからもれ出る嘘のかなしみ」は、そんな簡単には捉えきれないでしょう。でも、もれ出てくるものが、じんわりと入ってくるように感じます。

 方代という名も「生き放題、死に方代」にちなんど言われていますが、じつはそれも本当なのかなと疑わせてしまうような方代さんに思えてくるのです。嘘を含めて山崎方代という生き方の中に方代さんが何を込めて歌い続けたのか、ゆっくりと受け止めながら味わいたいと思うポエカフェとなりました。そんな読み方が方代さんには、相応しいように思えるのです。

 今回のポエカフェで、第7記は終了となりましたが、前回の都留篇の付属?という形で通算の回数には含めないということでした。それで、今回の参加記の題名も「第7期の7の2」となりました。

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「嘘の中に?」 ポエトリーカフェ参加の記 第7期の7 (山崎方代篇)

 遅くなりましたが、7月15日に開催されたポエカフェin 都留:山崎方代(やまざきほうだい)篇の参加記です。

 当日はポエカフェ本篇に先立って、都留市在住のCさんがアレンジしてくださった「エンジョイ都留!ツアー」もあります。もちろん、ここから参加です。富士急行線の谷村町駅前に11:30集合とのこと。連れ合いのアンジーと一緒に、大月乗り換えで向かいます。連休初日だし少しは混むかなと思っていたのですが、想像をこえる混雑!これでは通勤ラッシュみたいではないですか。ふと車内の広告に目をやると、あるゲームに絡んだイヴェントが開催される当日でした。車内には外国人の観光客に混じって、そのイヴェントに向かうと思しき人々が…。こりゃ、混むわけです。

 谷村町駅で降りたのは、ほぼポエカフェ参加者でした。改札の前にはツアーをアレンジしてくださったCさんが待っていてくださいました。

 参加者が揃ったのを確認して、Pippoさんが作成した小さな山崎方代の旗を持ったCさんの案内でツアー開始です。最初に行ったのは「ミュージアム都留」。そこでCさんが用意してくださった資料をもらいます。これが、力の入った素晴らしい資料。都留の歴史や関わりのある文人たちの資料が用意されていました。これは保存版です。Cさん、ありがとうございました。甲斐絹(かいき)に関する展示も面白く拝見。展示されていた屋台の幕には圧倒されました。

 開催初日であった根付展ももっと見たいところでしたが、昼食目指して散歩開始です。まさかの暑さの中、途中、道路脇の水の流れに助けられつつ、無事目当てのうどん屋さんに到着です。ここのうどんが安くて盛りが良くてうまいという、文句なしの店でした。盛りの良いのを知らず大盛りを頼んだ私。みんなに大丈夫と言われながらも完食しました。(ツアーの様子は、参加者の青柳しのさんがブログ「しろくま文庫」に写真つきであげてくださっています。是非、ご覧ください)

 会場の「バンカムツル」さんは、そこからほどない都留文化大学の前にあります。ポエカフェ本篇は、いつものスタイルで開始です。そこでおどろきの出会いがありました。初めて参加してくださったSさんの友人が、ある著名な詩人の友であるHさんの子孫だったのです。その詩人を好きなYさんの質問からわかったのですが、会場に響き渡る参加者の「え~!!!」の声。

 素晴らしい出会いから始まった、今回のポエカフェ、取り上げられるのは歌人:山崎方代です。山梨県は甲府市右左口町の出身です。(略歴は先にあげた青柳しのさんのブログに良い抜粋があります。)十代後半から歌を始めますが、なかなか一つの職場に落ち着けなかったようです。そして戦争に駆り出され、目を負傷し、右目を失明、左目の視力が0.01になってしまいます。職業訓練も受けますが、その後の一生をほぼ無職で暮らすことになった歌人です。

 時に、尾崎放哉や山頭火とも比べられますが、実際にはほとんど放浪はしていないようです。親子ほども歳の離れた姉の世話になったりもしますが、不思議と助けてくれる人に恵まれています。自分の家の敷地に小屋を立てて住まわせてくれる人など、そうはいないでしょう。

 方代さんの(さん付けが似合いそうな人なので)歌は不思議な魅力に溢れています。予習にと思って借りてきた全歌集を開いた途端、すっと入り込まれた感じがしました。理由はわからないのですが、惹かれます。

今回も朗読くじがありましたが、私が朗読したのは歌集『右左口』からの二首、「大正初年の生れにて柿の実は三つ残してもがしてもらう」と「かたわらの土瓶も既に眠りおる淋しいことにけじめはないよ」です。ふっと口をついて出たような言葉にも思えます。しかし、心に語りかける言葉です。

 自分の朗読ではないのですが、心にかかったのは「おのずからもれ出る嘘のかなしみが全てでもあるお許しあれよ」です。方代さんの心が垣間見えるような歌に感じます。嘘と言えるような事の中に、じつは大事な事を込めている方代さんなのかなと思うのです。帰ってから、生涯に関する本を読んでいますが、ますます、そう感じています。

 参加記を書くのが遅くなりましたが、ポエカフェ後忙しかったのとは別に、方代さんをどう受け止めたら良いのか、自分の中でまとまらなかったこともあります。惹きつけられながらも、その理由が自分にもわからない。そんな状態が続いています。そんな時、方代さんのリターンズ篇が開催されるとの報せがありました。参加するっきゃありません!

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「いちめんのなのはな」 ポエトリーカフェ参加の記 第7期の7 (山村暮鳥篇)

 4月15日に行われたポエカフェは、春の出張篇です。場所は向島の甘夏書店さん。一軒家カフェikkAさんの2階です。階段を上がって2階に行くと、畳敷きの甘夏書店さんの部屋があります。その隣の和室が今回の会場です。畳敷きの部屋に和みます。Pippoさんに近い方は座布団に、遠い方は用意された椅子に座ります。私の座った脇には明かり取りの障子がありました。向島の古い家屋です。

今回の詩人は山村暮鳥です。ポエカフェでは3回目の登場になります。1回目は第1期の第8回、私は、2回目には参加できなかったので、ほぼ7年ぶりになります。断片的に知っているにすぎなかった山村暮鳥でしたが、第1回に参加した時、『聖三稜玻璃に強い魅力を感じ、それ以来、好きな詩人のかなり上位に来ています。予習を兼ねて改めて読み直してみても、魅力は衰えるどころか増してきています。参加される皆さんが、どのような感想を持たれるのか、関心が高まる中、連れ合いのアンジーと一緒の参加でした。

 新しい方が何人もおられる中、何時ものように自己紹介から開始です。暮鳥との距離はそれぞれ違いますが、それだからこそ、皆さんの感想が楽しみになるのです。ikkAさんが用意してくださった桜香るほうじ茶をも美味しく、更に追加注文のイチジクのドリンクも美味しくいただきながら、会は進んでいきます。

 これも恒例の朗読くじが自己紹介の間にも回ってきます。できれば『聖三稜玻璃』から読みたいなと思っていたのですが、残念ながら違いました。隣にいたアンジーが交換してというので、交換しましたが、これも違います。その時、残ったくじから選んで良いというPippoさんの声がありました。さっそく手をだすと、なんと「風景 純銀もざいく」が残っているではありませんか。「いちめんのなのはな」が続く詩です。始まる前にMさんと、読むのが大変な詩にあげていたのですが、こうなったらやるっきゃないと思い切って交換しました。

 Pippoさんが暮鳥の生涯を紹介し始めます。やがて朗読も始まります。『聖三稜玻璃』からも何篇か取られています。最初は「囈語」です。これも大変な詩です。「窃盗金魚/強盗喇叭・恐喝胡弓/賭博ねこ/…」と続きます。各行の前半と後半の言葉のつながりに意味を見出すことは難しいでしょう。イメージだけが迫ります。次は「気稟」です。まだわかりやすいでしょうか。それでも、そこからのイメージは色々です。

 ついに私の朗読の番です。Pippoさんの解説や、皆さんの感想を聞きつつ、こっそりとどう読むかメモを作っていました。1連9行で3連の詩です。「いちめんのなのはな」が繰り返されていきます。そのなかで各連とも8行目に別の言葉が入ります。1連目は「かすかなるむぎぶえ」2連目は「ひばりのおしゃべり」3連目は「やめるはひるのつき」です。

 1連目は水平、2連目は下から上へ、3連目は空(上)への視線を意識しながら読みました。イメージの世界に入りながら朗読しましたが、効果はどれほっだったでしょうか。実は、大好きな詩なのですが、同時にわたしにとっては、大きな緊張感をもたらす詩なのです。1連目から3連目へと進む中、緊張感が増大してくるのです。ですので、3連目はスピードを上げ、たたみかけるように7行目まで読みました。押しつぶされそうな緊張感の中、空を見上げると「やめるはひるのつき」に吸い込まれていきます。

 まったく個人的な感想です。朗読後、様々な感想が出ました。暮鳥はどこにいるのでしょう、のんびりとした風景ととりたい等、話は広がります。それだけこの詩に力があるのでしょう。イメージはそれぞれに広がります。

 自分の好きな詩の話ばかりになってきました。戻りましょう。会はその後も暮鳥の生涯を追いながら作品の紹介が続いていきます。晩年の『雲』に収められた詩も心に残ります。暮鳥の作品の背後には、彼の信仰のあり方が透けて見えるような気がします。聖公会の伝道者として活動しながら詩を作り続けた暮鳥です。しかし、その信仰は一般的なキリスト教の枠組みからははみ出すようなものだったでしょう。東洋的なものとのつながりも感じます。

 『雲」の詩を読みながら、八木重吉のことを思い出していました。短い平易な言葉で綴られた詩。形として近いものがあるでしょう。信仰の姿勢はかなり違います。二人が出会い話あったらどんなことを話したのだろうと考えるのも楽しいことです。

 もう一つ気になるのは三野混沌との関係です。Pippoさんも紹介しておられた『暮鳥と混沌』を遅まきながら読み始めています。

 ikkAさん、甘夏書店さん、近ければ絶対通っているでしょう。良い空間をありがとうございました。また、暮鳥の生涯等に関しては今回も古書ますく堂さんがブログでうまくまとめてくださっています。是非、ご参照ください。

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「リアリティを求めて」 ポエトリーカフェ参加の記 第7期の6 (尾形亀之助篇)

 先月26日に開催されたポエカフェで取り上げられてのは尾形亀之助。仙台での1回を含めて4回目の登場です。私は今回が2回目ですが、前回の参加時のブログで、亀之助の詩を読んで感じたことについて「言語化すること自体を亀之助の詩が拒んでいるのかもしれない。かんたんに言語化して意味など与えないでくれと」書いている。それでも心にかかる詩人なのです。その後読み続けることはしていませんでした。自分の内の何かが反応している感じがありました。引き込まれそうな予感とともに、そうなったらまずいかもという感じがあったからかもしれません。しかし、夏葉社さんから「美しい街」が刊行されたこともあり、買って読み始めていました。期待と不安?の入り混じった中での参加でした。

 連れ合いのアンジーと一緒に会場の神田伯剌西爾さんに着くとPippoさんが資料の整理中です。アンジーと一緒に手伝います。第1期の頃から変わらないこのこの手作り感もポエカフェの良さです。長く続くと、それなりの固定感も出やすいと思うのですが、そうならないのがポエカフェの不思議な魅力でしょう。今回も数名の新しい方を含めて、ゆったりと自己紹介から開始です。

 今回も恒例の朗読くじがあります。短いのやら、散文詩の長いのやら入り混じっています。くじではありますが、希望によって交換可能なところもポエカフェならではかもしれません。長いのは避けられがちでした。私は、いきおいで引いたところ、なんと最後の詩集『障子のある家』の「後記」の中の「父と母へ」でした。同じ「後記」にある自分の子どもへの「泉ちゃんと猟坊へ」とともに大好きなものです。ちなみに「泉ちゃんと猟坊へ」は夏葉社さんの「美しい街」にも収められています。

 『障子のある家』はたった70部だけ刊行された亀之助最後の詩集です。その自序には「何らの自己の、地上の権利を持たぬ私は第一に全くの住所不定へ。それからその次へ。~」と始まります。「その次へ」をどう取るかが亀之助を理解する上で、大きな分かれ道になるような気がしています。

 それにしても、これを引くとはと驚きでした。というのも、この「父と母へ」に関して前回のブログでも取り上げていて、その最初の部分「さよなら。なんとなくお気の毒です。親であるあなたも、その子である私にも、生んだり生まれたりしたことに就てたいした自信がないのです。」を引用しつつ「そこには、現代的な問いが含まれていると思うのは、私の勝手な思い込みかもしれないが…。」と書いたからです。

 今回の参加にあたり、亀之助の生涯を詳しく調査した秋本潔氏の『評伝 尾形亀之助』を読みかけていました。亀之助の生家の背景も詳しく調べられています。そこを読む中で、亀之助の成長過程と作品との結びつきを考えざるを得ないように思ってきています。特に11歳で喘息の治療のためとは言え、親から離れた鎌倉での生活や、その後の東京での生活も気にかかります。ポエカフェでいろいろな詩人に出会ってきましたが、尾形亀之助ほど成長過程と作品が結びついている詩人は内容に感じています。

 先に引用した中の「生んだり生まれたりしたことに就てたいした自信がないのです」という箇所は、亀之助の社会に対する向き合い方に決定的な影響を与えていたのではないかといったら考えすぎでしょうか。無為としか見えない暮らしの中で、自分にとってのリアリティーを探し求めつづけたのが亀之助だったのではと思うのです。それは、目の前の暮らしより、存在の本質へと向かわざるを得なくさせたのではないかと思うのです。

 作品への「浮遊感」という評も聞かれましたし、「ボンボン」という評もありました。そう言われてもしょうがない生き方でしょう。しかし、作品の底に流れる言語化を拒むような感覚にこそ亀之助の本質が隠されてるように感じるのです。亀之助のこんなところに、どうやら惹かれているようです。そうすると、私自身、かなり危なっかしい存在ということになるかもしれませんが…。

追記1:『障子のある家』に収められた「おまけ 滑稽無声映画「形のない国」の梗概」も好きな作品です。

追記2:亀之助の生涯については、今回も古書ますく堂さんのブログ「古書ますく堂の、なまけもの日記」を参照してください。

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「やわらかさの中にも」 ポエトリーカフェ参加の記 第7期の5 (石垣りん篇)

 2月26日に開催されたポエカフェの詩人は石垣りんさんです。りんさんファンの連れ合いアンジーと一緒の参加です。あれから1週間以上たってしまいましたが、余韻覚めやらぬ状態です。石垣りんさんの改めて大きさを感じる回でした。りんさんの生涯については、今回も「古書ますく堂」さんがブログでうまくまとめってくださっていますので、ぜひご覧ください。

 「二月には/土の中にあかりがともる」石垣りんさんの死後に出版された詩集『レモンとねずみ」に収められた「二月のあかり」の冒頭です。2月26日に開催されたポエカフェ石垣りん篇での朗読くじで当たったのがこの詩でした。第1詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』から出版された順にりんさんの詩を皆で読んでいく中で、最後に近いところでの朗読です。それまでの、社会や女性の立場について、または、家族についての時に辛辣で、厳しく、また重く迫ってくるりんさんの詩とは、異なった感覚を受けます。それだけに、印象に残った詩となりました。

 一読した印象は「やわらかい」ということでした。二月の土の中にともるあかり。春はまだ姿を見せない中、やがて来る春に備えている土の中のお母さん。夜の明けぬ内から子供の遠足の準備をする母親の姿に重ねて歌われています。

 晩年の詩なのでしょうか。この詩を書いた時、りんさんの目に何が映っていたのかと考えさせられます。戦争を経験し、若い時から男性社会の中で働き続けたりんさん。「表札」に代表されるような背筋の伸びた、キリッとした詩がよく知られているでしょう。「表札」の最終連「精神の在り場所も/ハタから表札をかけられてはならない/石垣りん/それで良い。」の鋭さ、いさぎよさに惹かれます。

 わたしにとって、ポエカフェに参加するようになる前から読んでいた数少ない詩人です。朗読音源を聴いて、その朗読に引き込まれたものです。りんさんの詩に出会って十数年になると思います。そんな中での今回のポエカフェでした。皆さんがどのように読まれるのか、どのような感想が出るのか、いつにもまして興味がありました。初参加の方も含め、とても盛り上がった会となりました。りんさんの詩が、皆さんの発言を引き出していったようです。

 皆さんの発言を書き留めていっているのですが、いつもよりメモの数が多くなりました。それだけ、りんさんの詩が、お一人おひとりに届いているのではと思います。「これが一番好き」と言って朗読する方。自分の状況と比較してあまりにも辛いのでと、くじを交換された方。詩の力を強く感じる時でした。今も読まれるべき詩人という発言もありましたが、本当にそう思います。だからこその盛り上がりでしょう。

 朗読されなかった詩に『やさしい言葉』の「川のある風景」があります。「夜の底には/ふとんが流れています/」と始まります。「川が流れています。/深くなったり/浅くなったり//みんな/その川のほとりに住んでいます。」と閉じられます。この詩もとても気になっています。

 『レモンとねずみ』の巻末に収められた「石垣さん」という谷川俊太郎さんの詩があります。そのなかに「私は本当のあなたに会ったことがなかった」という1行があるのです。本当の石垣りんに会ったことがある人はどのくらいいるのだろうかと思います。

 詩一篇、一篇から受ける感動とは別に、石垣りんという詩人のイメージ、なかなか焦点が定まりません。銀行員としてのりんさん。組合活動を活発にしていたりんさん。家族の全てを背負っていたりんさん。一人の女性としての晩年のりんさん…。苦しさを扱う詩でも、決して否定しないりんさん。独特の強さを思います。それは冒頭にあげた「二月の明かり」のやさしさの中にも息づいていると思うのです。その強さの奥底にあるものが知りたくなります。エッセイを含め、もっともっと読みたくなる詩人です。

 さて、次回は尾形亀之助とのこと。これまた楽しみです。

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