語り合いたくなって(ポエトリーカフェ〈高見順篇〉参加記)
5月のポエカフェは高見順が取り上げられた。私は24日のZoomでの回に参加した(翌25日には神田伯剌西爾での開催)。高見順が取り上げられるのは2013年1月以来のこと。その時も強い印象を受けたことを思い出す。高見順を熱く推すPippoさん、会が終わっても話し続ける参加者の皆さん。当時のブログを見返しながら情景を思い出す。今回はどのような皆さんの感想を聞けるのだろうかと期待は高まる。
高見順は詩人としてより、小説家としてのイメージが強いだろう。第一詩集『樹木派』の自費出版が43歳の時だ。既に28歳の時に発表された「故旧忘れ得べき」をはじめとする作品で名をなしていた高見順。戦前には治安維持法違反の疑いで逮捕され拷問を受けた高見順。学歴だけを見るならエリート街道まっしぐらだが、その生涯は決して楽なものではなかったであろう。更に1948年(41歳)には結核を発症し、サナトリウムへの入院も経験している。そんな生涯を歩んできた詩人の作品が目の前にある。
あらかじめ送られてきた資料をもとに朗読希望の詩を選ぶが、その背景を思わずにはいられない。どの時期の作品を選ぶか迷うが、ともかく声に出して読んでみて、心にスッと入ってくるものにしようと思う。
選んだ詩はいづれも短いもの。長い作品は詩人の思いが勝っているものが多いように感じる。饒舌さの中に詩人の熱を感じるのだが、詩人の熱さに読むほうが圧倒されそうな感覚があった。強い詩と思う。一方短い詩は、端的な表現故かそれを感じないし言葉もスムースに入ってくる感じを受けた。
24日に朗読されたのは「苦しみ」「楽しみ」「光るもの」「さまざまな時のなかで」「魂よ」「帰る旅」「ぼくの笛」「みつめる」「荒磯」「ケシの花」「われは草なり」そして高見順の訳詩として「夢」(エミリー・ディキンスン」だった。訳詩2篇を含む47の詩が資料に掲載されていたが、そこから13篇が朗読された。
朗読の技術ではなく、人の声を通して聴く高見順の詩は、黙読しているときと表情を変える。そこに、技術をこえた読み手の受け取り方が滲み出てくる。どんな詩人の詩もそうだが、今回もそこにポエカフェの面白さがあることを改めて確認させられた。
私が朗読したのは第一希望だった「ぼくの笛」とPippoさんが選んでくださった「樹木派」の2篇だ。「ぼくの笛」は食堂ガンを患った高見順の実感こもる作品として受け取った。短い作品なので全文を引用しておく。「烈風に/食道が吹きちぎられた/気管支が笛になって/ピューピューと鳴って/ぼくを慰めてくれた/それがだんだんじょうずになって/ピューヒョロロとおどけて/かえってぼくを寂しがらせる」。病の暴力性が真っ向からぶつかってくる。圧倒的な病に直面した時の無力さ、争いえない力の前に立たされる絶望感を思う。「烈風」に込められた食道を引きちぎるほどの圧倒的力に直面した詩人。気管支が笛のような音を出す。それは死の印であると同時に生きている証でもある。死を意識せざるを得ないなかでも生きている今の自分がある。絶望ないしそれに近い状況に追い込まれながらも生きている者の「寂しさ」としか言い表し得ない感覚が込められた詩。
私としては幼い時から死に近いところを経験した者としてその感覚への共感を持った。厳しい病の経験者としての選択だった。しかし、それでも高見順のこの作品には、そのような自分と距離をおいたものとしてのユーモアがある。決して自虐ではなく、きっちりと向き合いながらの作品。「魂よ」が朗読された時、スタンダップコメディのようにも感じるという感想があったが、この作品にも同じようなものを感じもする。
「樹木派」についてまず感じたのは、「派」とつくことで生まれる怪しさ、疑わしさだった。樹木派は樹木そのものでないように、正義派も正義そのものではない。正義の定義は定かではないが、正義派とでも称するしかない『正義』が大手をふってまかり通っていた時代を経ての作品であることは確かと思う。高見順のここまでの歩みを振り返ると転向も含めて『正義』と称するものへの懐疑がここにあるのではないだろうか。しかも樹木と樹木派の関係よりも、正義と正義派の関係のほうが遥かに怪しいのではないか。そのことを抑えた上での最初の2行に思いはとどまtた。「どちらかというと/樹木派である」に込められた自己認識はどのようなものなのだろうか。最後まで読んだときに、最初のこの2行に戻ってくる。
自分が朗読した詩への感想が長くなったが、短い詩であっても語り合いたくなることが次々と出てくる。2013年に取り上げられた時が終わりがたい感をもって閉じられたことを思い出す。とっつきにくさはない詩、それでいて多くを語りたくなる詩、改めて高見順の詩を前にして、その感を強くしている。
最近のコメント