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ポエトリーカフェ参加の記2(萩原恭次郎、高橋元吉)

 文系ファンタジックシンガーで近代詩の復興運動に熱くとりくむ詩姫のPippoさんが主催している「ポエトリーカフェ(略してポエカフェ)」の第7回に参加した。遅くなったが、参加の記をUPしておく。今回取り上げられたのは、萩原恭次郎と高橋元吉の二人。萩原恭次郎は、詩集「死刑宣告」が復刻されていることもあり、ある程度は知られていると思うが、高橋元吉は、アンソロジー以外では作品を目にすることの出来ない埋もれた詩人だろう。(参加者のほとんどが知らなかった)
 いつものように、詩人の生涯を紹介しつつ、朗読と詩の解説をはさんでいくスタイルで進められて行く。参加者がその間、自由に突っ込みを入れたり、私見を披露したりと、にぎやかな進行。初めての方もいるが、一つの詩を媒介に、互いに話し合えるのは、Pippoさんの進行のうまさとともに、詩というものの力かと今回も、あらためて感じてる。詩についてまだまだ詳しくない私でさえ、ずうずうしくけっこうしゃべっていたりするのだ。
 さて、二人の詩人について浅学な者の雑感を少し記しておこう。
 萩原恭次郎は『死刑宣告』の序で「第一期の私の意識的破壊の運動を全芸術に投弾し」と宣している。そこから『断片』を経て『もうろくづきん』に至る萩原恭次郎の生涯はあまりにも鮮烈。視覚効果をこれでもかと盛り込んでいる『死刑宣告』からは恭次郎の熱い思いがまさに爆弾の破裂のごとき熱風をもって迫ってくる。あたかも朗読を拒むかのようなその詩も、Pippoさんと参加者一名の朗読によって、音声による顔を見せてくれた。おさえて読むか、突き抜けて視覚効果を大胆に朗読に反映させるか、考えさせられる。
 まったく異なる印象を与える『もうろくづきん』の背後にある状況を思う。時代背景抜きにしては、この詩の重さは伝わらないと、話し合いを通して思う。表現は大きく変わりながらも、社会に対し向き合い続けた恭次郎がいる。彼の詩を読んで、詩のことばと思想がせめぎあっていると感じた。今回あまり話し合う時間がなかった『断片』の時期を含め、「社会状況」との向き合い方が恭次郎自身の中でどう変わっていったのか考えさせられる。今回は触れられなかったが、彼の歩みの先に思想的転向といわれるものが現れる。そうせざるを得なくなる何かがその中で見つけられるのだろうか。恭次郎だけの問題にとどまらない何かが見えて来るようにも思うのだが。
 高橋元吉は、Pippoさんからの資料と、いくつかのアンソロジーからひろった詩だけしか読む機会がなかった。恭次郎と同郷、同時代の詩人だが作風は全く異なる。生前に自らの意志で世に出した詩集は二冊のみという。書店の主人として生涯をおくった元吉。生き方も恭次郎とは全く異なる。その柔らかな表現のむこうに何があるのか、とても気になる。Pippoさんのいう「ゆるぎない思想・哲学・詩」の実態をもっと多くの彼の詩を読むことで実感してみたい。今回は間に合わなかったのだが、図書館に高橋元吉詩集をリクエストしている。早く手に取り見てみたい。

 ポエカフェに参加すると、読みたい詩集が増える。恭次郎はいちじ距離をおいていた詩人だった。それは魅力が強すぎると感じたからだ。しかし、このような場であらためて読む機会が与えられたことに感謝したい。語り合うことで得るものの大きさをあらためて確認した次第だ。

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