« ポエトリーカフェ参加の記3(山村暮鳥) | トップページ | ポエトリーカフェ参加の記5(中原中也) »

ポエトリーカフェ参加の記4(立原道造)

 詩姫Pippoさんのお主催するポエトリーカフェ(以下ポエカフェ、詳細はこちら)に参加するのも、6月で4回目。参加しはじめてからというもの、読書の多くの部分が詩で占められるという事態になった。けっこう長いこと生きてきたが、これだけ集中的に詩を読んだことはない。詩の世界にあこがれながら、今ひとつ近づけなかった私だが、ポエカフェに参加することで、詩の世界が自分にちかづいてきていることをつくづく感じる。Pippoさんの解説と朗読。いろいろな人の解釈を聞くこと。一人だけでは味わえない世界がそこにある。参加者の年齢層の広さも世界を広げてくれる。

 そんなことで,毎月の楽しみとなっているポエカフェだが、今回は立原道造が取り上げられた。会場は神保町の喫茶店『喫茶去(きっさこ)』。ここになんでこんな建物が!という木造家屋。その2階の和室を借り切ってポエカフェ。場所が狭いので参加者は8名。あっというまに定員に達し、参加したくともできなかった方たちもいたようだ。その部屋、元は茶室だったということで(参加者の一人が店主さんに確認)、雰囲気がとてもいい。いっしょに行った妻と二人で、その場のよさに勝手に盛り上がる。全集掲載の写真によれば、歌舞伎役者を思わせる立原道造。しかも生れが日本橋の大店の長男。場所もそんな道造に相応しいのではと思いは広がる。

 立原道造は、今も筑摩から全集が刊行されている詩人。文京区には記念館もある。近代詩の世界ではポピュラーな詩人だろう。しかし、参加者の中のある方が「道造を好きだというと、あんな感傷的なものと言われる」とおっしゃていた。私もそんな意見に惑わされていたのだろうか、まとめて読むのは今回が初めてだった。あいもかわらず、初心者のつたない感想を思いつくまま以下に書いておくことにする。

 ポエカフェに向けて読みはじめたのだが、最初のうちは、正直その魅力がどこにあるのか今ひとつ掴みきれなかった。しかし、読み進めていく中で、ふと気がつくと、道造のことばが、しずかに、静かに、心に降り積もっていることに気がついた。きらきらひかりながら、悲しみといたみをともなって、でもつめたくはない。それはこころを少しやわらかくしてくれることばだった。

 その時、ふと思ったのは、道造の詩は1篇だけでなく、詩集として全体を読んでいくものとして書かれているのではということだ。しかもせの世界はたんなる感傷的な世界ではなく、一つの世界を構築するという明確な意志のもとに造り上げられているのではなかろうかということだ。その透明な世界の中、聞こえて来るのは道造の声だけに思える。それゆえの透明さとも思える。「こんな世界をつくったけれど、こちらへ来ないか?」と呼びかけられているようにさえ感じた。

 こんな感じを持ちながらの参加だったが、そこであらためて気になったのが建築家としての側面だ。妻は「ヒヤシンスハウス」からコルビジェを連想していた。人にやさしい設計の気がするとも。優秀な建築家としての才能を評価されていた道造。詩の世界も一つの意志によってしっかりと構築されているのではないかと感じる。見かけは柔らかく、しかししっかりとした構築物。建築と詩の底に同じものが流れているのだろうか。

 詩集自体が一つの構築物ではという感を深くしたのは、参加された方が持参の第1詩集『萱草に寄す』の復刊本を見たとき。後日、図書館でもあらためて見てみたが、装丁は楽譜を思わせるものとなっている。サイズも見た目もである。共通のカットが配され、詩が1篇ずつおもいのほか小さめな活字で配されている。第2詩集「暁と夕の詩」もサイズは同じ。表紙が異なるものもあるが、こちらも楽譜を思わせる装丁のものもあるとのことだ。一つの楽譜としての詩集。それは全体が演奏されるとき(読まれるとき)一つの作品として完結するということなのかと、想像をたくましくしている。

 さきほど、道造が自ら作った世界に読者をさそっているように感じると書いた。それを感じたもう一つの理由がある。それは、筑摩版の全集第2巻に収録されている手作り詩集を見た時のことだ。この全集では手作りの感じを残すために、活字に起こさず、写真版の影印が使用されている。そこで道造の肉筆をみることができる。その文字の一つ一つから、読む者へに訴える大きな力を感じた。それは活字からうける印象とはまったく異なるもののように思えた。中でも「散歩詩集」では、着色された文字、カット等、道造のデザイン感覚が溢れている。

 そもそも一人の読者のために、手作り詩集を作成すること自体、特別な力が入っていると言えるだろう。印刷された詩集でも、道造は一人一人の読者に向けて語っていたのではないかと、このことからも思った次第だ。

 長くなったが、一つ気になることが残った。それはもし道造が長生きしたとしたら、その後の日本でどのように生きたのだろうかということだ。「長生きした道造の姿が思い浮かばないというようなこと」話しておられた参加者がおられた。道造に詳しい方のことばだ。道造が造り上げた透明名世界。道造が一つの意志をもって構築した世界は、その後の激動する日本の歴史の中で堪ええたのだろうかということだ。


 

|

« ポエトリーカフェ参加の記3(山村暮鳥) | トップページ | ポエトリーカフェ参加の記5(中原中也) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

「ポエカフェ」貴重な時間をすごさせて頂きました。道造認識を新たにした時間でありました。感謝するばかりです。
 ひとつ悲しいお知らせです。本日、立原道造記念から重要と記された封書が到着しました。現在の展示期間9月26日をもって休館する。というものでした。東京の真ん中に一詩人の私立記念館が存在していたこと自体が奇跡に近かったわけですが、ついに終わりとなるようです。資料は散逸をふせぐため、一括して一時、信州無言館の窪島誠一郎氏のもとに寄託されるとのことです。しばらく東京では見られなくなるのではないでしょうか。是非この機会に訪問されて見てはいかがでしょうか。本当に小さな建物ですが居心地は悪くないはずです。学芸員さんも気さくな方です。お勧めいたします。

投稿: odainodozo | 2010年7月13日 (火) 01時15分

もちらこそ、ポエカフェではいろいろと教えていただきありがとうございました。立原道造記念館のこと、お知らせいただき、ありがとうございます。先日、来年はあるかどうかと伺っていたので、気になっていました。とても残念です。閉館前に、必ず行きます。

投稿: グレアムペンギン | 2010年7月13日 (火) 08時58分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/526399/48829779

この記事へのトラックバック一覧です: ポエトリーカフェ参加の記4(立原道造):

« ポエトリーカフェ参加の記3(山村暮鳥) | トップページ | ポエトリーカフェ参加の記5(中原中也) »