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ポエトリーカフェ参加の記6(大木実、高村光太郎)

 このブログも、読書メモというより、ポエトリーカフェ参加の記ブログといった様子を呈しはじめている。もちろん、その間に取り上げられる詩人以外の読書もしているのだが、そちらについてはなかなか書けずにいる。ポエトリーカフェ(以下ポエカフェ)に参加するようになり、詩を読むことが読書のかなりの部分を占めている。それで、おのずから?このようなブログになっている。どうやらポエカフェを主催するPippoさんの術中にみごとに嵌っているようだ。

 今回(8/28)のポエカフェの様子を、こちらの動画で見ることができる。Pippoさんの活動拠点とも言える「わめぞ」地域にある「ROCKET CAFE / ロケットカフェ 」で行なわれた。古書「往来座」の目と鼻の先にある。入っていくと、ビッグバンドの演奏が流れている。こじんまりとしているが、いいふんいきのお店だ。今回、めずらしくPippoさん、カヒロさんの到着が遅い。参加者が数名ほど集まっているところに、Pippoさんがコピーのたばを持って到着。どうやら、ぎりぎりまで取り上げる詩を絞り込んでいたようだ。当日の朝もTwitterで大木実の詩をなかなか絞り込めないとつぶやいていたが、そのせいか?
 
 資料を配布し終わるや、さっそくポエカフェの開始。初めての方もいらっしゃるので、ポエカフェについて説明がある。しばらくぶりで、かえって新鮮。その後、すぐに大木実を取り上げる。ほとんどの人が、今回のポエカフェまで、大木実を知らなかったという。私もそうだ。大木実の生涯が取り上げられ、Pippoさんの朗読がその間にはさまれていく。自分の周囲半径5メートルのことをうたった詩人というPippoさんの言葉どおり、生活に密着した情景が、誰にでもわかるようなことばでつづられている。人を驚かすような技巧があるわけではない。しかし、そのことばは聞く者、読む者の心にすっと入ってくる。Pippoさんの朗読も、詩のことばを浮かび上がらせてくれている。

 二人の詩人が取り上げられているので、一人についてあまり多くの時間を割けないのだが、大木実だけで1時間をこしてしまう。カヒロさんが時間を気にしている。しかし、初めて知った詩人であっても、参加者の方々からの発言が多い。みなさんの心に大木実の詩が届いているのだろう。

 残り時間がかなり少なくなってから、高村光太郎に移る。知らない人はもちろんいない有名詩人。いつごろ知ったかで、ひととき盛り上がる。岩手県にある「高村山荘」を訪問したばかりのPippoさんから、パンフレットが配られる。すてきなおみやげ。さらに晩年の智恵子が作成した切絵の絵はがきも回覧。

 光太郎の生涯を紹介しながら「道程」、「智恵子抄」の詩が紹介されていく。参加者からの発言、こちらも多い。ということで、案の定、時間内におさまらず、やむをえず近くの中華のお店に場所を移して、続けようということになる。二名の方が参加できなかったのは残念だった。ポエカフェ史上、初の事態だった。

 光太郎の生涯の中で、戦争協力詩の問題がある。Pippoさんもそのことで大きな衝撃を受けたと言っておられた。今回の岩手行きも、そのことを考えるためでもあったという。ロケットかフェでの最後で、この問題がとりあげられ、第2部?で続けられた。もちろん、どうして光太郎がこのような詩を書いたかということも話題になったが、それより印象的だったのは、その時代のことを語り継ぐことの必要性に話が進んでいったことだ。

 また、もう一つ印象的だったのは、智恵子は光太郎をどう思っていたかということが、参加者から問われたことだ。光太郎の純粋な智恵子への思いはその詩から充分に伝わる。しかし、それを智恵子がどう受け止めていたのだろうか。実は、ポエカフェ後、「芸術・・・・夢紀行 シリーズ1 高村光太郎 智恵子抄アルバム」という本を図書館で見つけた。何人かの方がこの点について書いておられる。その中に「光太郎と共に生き続けるためには、現実の世界から自己を切り離し、狂気の中に棲むしか道がなかったのだとは言えないだろうか?」(渡辺えり子)とあったのが気になっている心にひっかかっている。

 いつもより長くなるが、もう少しだけ二人の詩人について私自身が感じたことを書いておきたい。

 大木実の詩は、Pippoさんが選択に苦労したように、どれをとっても心に響いてくる。とはいえ、私自身においては、戦前のもののほうが、より響いてきたようだ。1943年に出された「故郷」という詩集がある。その中の『冬夜独居』という詩のさいごの部分に「これが生活というものか/幸福とはこうも静かに悲しいものなのか—」とある。晩年、人生を楽しむことができなかったということを語っている大木実。彼の心の底にあるものが、ここで直接顔を出しているように思えるのだが、どうなのだろうか。

 また、大木実は、多作であり詩集の数も多い。わずかな伝手があれば、積極的に先輩詩人に会いに行くこともあったようだ。生活にねざした詩を書き、作品数も多いにかかわらず、自分から積極的に発表しようとしなかった高橋元吉とは、正反対と言えるだろう。ポエカフェでも、そのことが言及された。

 生活の苦しみを避けようもなかった大木実。彼にとって詩を書き発表することこそが、生きて行くこととイコールに近かったのではないかと、ふと思った。そこに彼の生きる土台があったのではと。その切実さが、やさしいことばを通して、私たちにとどくのではないかと思う。高橋元吉は、生きる上での土台をもったうえで、自分の直面する日々を詩へと表わしていったのではないか。土台を確認する作業としての詩作なのではと、しろうとながらに考えている。

 高村光太郎については、戦争協力詩のことが、どうにも気にかかっていた。今回戦後まもなく書かれた「暗愚小伝」を読んだ。みずからを「暗愚」な者として綴られた20篇の詩だ。その最初に置かれた「土下座(憲法発布)」という詩がある。光太郎が幼い時の明治憲法発布の光景を描いたものだ。その最後に「私のあたまはその時、/誰かの手につよく押へつけられた。/雪にぬれた砂利のにほひがした。/—眼がつぶれるぞ—/」とある。

 これを読んだとき、光太郎の心は、押さえつけられたままではなかったのかと思った。光太郎の詩のことばには強さがある。しかし戦争協力詩の強さは、異質に思える。それは頭を押さえ続けられたなかで、投げつけたようなことばではなかったのだろうか。強く投げつけなければ、眼がつぶれると思っていたかにさえ感じる。自らの力でそれを押しのけられなかった光太郎は、自分を暗愚と呼んだように思える。その思いが、「暗愚小伝」中の「終戦」「報告(智恵子に)」に示されていると。
 
 長くなったが、大木実の詩をもっと読みたくなったことを付け加えておこう。古本屋で見つけられればいいのだが...。
 
 

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