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貧しき信徒 支部長から(2)

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 Pippoさんの主催する日本近代詩復興委員会の八木重吉担当として、前回に続き、重吉の生涯に少し触れながら詩を紹介していきます。

 八木重吉は1898年、東京府南多摩群堺村(現在の町田市)で江戸時代から続く農家の次男として生れました。(簡単な年譜は前回をご覧ください)そこは神奈川県と境を接する山間の村です。

 幼い頃は、「なかなかの癇癪持ち」だったと言われています。その一方で、少年の頃を知る人の追憶に「先づ頭に浮んで来るのはおとなしい内気過ぎる様な、さうして色白な、いかにも坊ちゃんらしい姿である」ともあります。また、再従兄で小学校の高等科で重吉を教えた加藤武雄は「非常におとなしいやや憂鬱な少年だった」と回想しています。成績は優秀ですが、体操と音楽は不得意だったようです。山間の村では、周囲の子と比較されるとき、人の目からは、成績は別として積極的な評価はされていないように感じます。山野を元気に仲間と駈けまわるような少年ではなかったようです。

 しかし、師範学校にすすんだ重吉は英語の才を発揮し、抜群の成績をおさめます。教師からの信頼とともに、級友からの人望もあつかったといわれています。さらに校内マラソンでも一度も落後しなかったと言うのですから、体操が苦手だった重吉として、その頑張りは、かなりのものだったことがうかがわれます。おとなしいだけでない重吉のもう一つの面が、師範学校時代から前面に出てきているようです。

 英語の才能を発揮した重吉は、師範学校から高等師範学校へと進み、英語の教師となるべく学ぶことになっていきます。このコースも、当時としてはかなりの難関だったと言われていますので、目標にむかって邁進する重吉がそこにいます。それでも、後の高等師範学校卒業の頃の写真からは、どちらかといえばひ弱そうな印象さえうけます。外面から受ける印象と内面の熱さには、かなりのギャップがあったのでしょうか。

 さて、今回の詩も、八木重吉の第一詩集『秋の瞳』からのものです。ともにたった2行の詩です。『秋の瞳』にはやや長めの詩もありますが、第二詩集『貧しき信徒』では、ほとんどが短い詩になります。詩作を続ける中で、重吉は少ないことばで、じぶんの書きたいことをどれだけ書けるかに挑戦して行ったかのようです。そして、いずれの詩も、静かさと熱さを併せ持つ八木重吉をよく示しているように思えます。私なりの鑑賞を以下に記しておきます。

 『秋の瞳』の中で、「花になりたい」は、特に有名な詩と言えるでしょう。「なりたい」ということばにこめられた作者の静かなしかし熱い思いが伝わってきます。「えんぜる」「花」といった、やさしさを感じさせることばと、「なりたい」と強く言い切ることばが組み合わされています。「花」も「えんぜる」と並べられることで、天に向う美しさを思わせるものとして言われているといったら、言い過ぎでしょうか。

 「かなしみ」には「このかなしみ」とあります。「この」とありますが、何をさしているか、まったく言われていません。でも、作者のこころの中を占めている思いのすべてがかかっている重さを感じます。生きていることの歓びまでも含めた「かなしさ」ではないでしょうか。生きることに、人間であることに、正面から向き合っている作者を思います。「ひとつに 統ぶる 力はないか」とつづきます。人間としてのあり方の根本を求めることばではないでしょうか。

 

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