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あまりにも豊かな時間(ポエトリーアワー参加の記)

 1月29日に行われた「Pippoのポエトリーアワー 平田俊子×Pippo」に行って来たので、遅くなったが、参加の記を記しておく。

 昨年10月に第1期を終えたPippoさん主催のポエトリーカフェ。今年も春から第2期が始まるようだが、それとは別に「ポエトリーアワー」が行なわれた。Pippoさん初のイベントだ。当日の様子は、すでにご本人がホームページのP-waveで報告されている。(報告ページはこちら)ぜひ、ご覧頂きたい。

 会場の「古書 信天翁(あほうどり)」さんには、普段中央に置いている棚をかたずけられ、座席が設けられていた。前の方は、お風呂の椅子に小さなクッションが置かれている。その左端、柱を背に坐る。時間までに会場は一杯に。定員40名のところ、45名の参加だったと報告されているが,びっしり満員。遠くから来られた方々もおられる。初イベントでこれだけの盛況。

 会場の後ろから来場者をかきわけるようにして、Pippoさんと平田俊子さんが登場。さっそく第1部「高村光太郎とあそぼう」が始まる。流れは、上記Pippoさんの報告にある通りだが、密度の高い時間があっというまに過ぎ去っていった。

 高村光太郎に対する2人の思いの交差が、とても面白い。ストレートなPippoさんの感想に、するどい突っ込みを入れる平田さん。ふたりのやりとりに会場が湧く。Pippoさんも「予期せぬバトル勃発」と書いているが、ふたりの光太郎への思いの違いが、光太郎に光を当てていく。まさに「光太郎であそべた」感覚が残った。Pippoさんと平田さんのたくまざる呼吸のよさに、会場がひっぱられていった。おふたりの朗読とやりとりを通して、光太郎への興味がかき立てられていく時間だった。

 第2部は「平田俊子をアソボウ」。ここでの平田さんの自作の朗読を聞けただけでも、このイベントに参加して良かったと言える経験をした。Pippoさんも、平田さんの朗読を聴いたのが、このイベントを企画したきっかけだったと書いているが、確かに、パフォーマーとしての平田さんの力に圧倒された。

 光太郎の「レモン哀歌」を題材にした「れもん」では、片面には「檸檬」片面には「レモン」と書いた紙を持ちながらの朗読。「私見、ゴッホの『寝室』」では、横でPippoさんがその絵をかかげながらの朗読だ。すでに読んでいた詩だが、平田さんの声を通して、詩が立ち上がって来る。

 個人的には、ユリイカ8月号に掲載された「か」の朗読に、揺さぶられた。平田さんの朗読とともに、ことばが文字から離れ、音となって飛び回る。しかし、文字をはなれきるのではなく、新たなかおをもってことばに収斂していくとでもいったらよいのだろうか。不思議な不安定感がそこにある。聴きながら、床が揺れ動き、たゆたいだしそうな感覚に包まれていた。ことばから意味が溶け出していくが、聞く者に残していくことばがあるように思えた。

 今回のイベントの前に、平田さんの『宝物』を読んだ。読みながら次のようにメモをした。「ゆらめくことば、その中で存在もゆらめいている。着地点の見つからない存在。ことばの中でゆらめきつづけるしかないのか」とだ。朗読を聞きながら、この感覚が拡大し、より強烈なものとして迫って来ていたのだと思う。その空間にいることは、ゆらぎながらも決して不快なものではない。ただ心地いいというのでも決してない。不思議な感覚だ。その感覚を言い表すことばは、わたしにはない。何を言っても,何か違うものになりそうだ。

 Pippoさんも自作の詩を朗読した。Pippoさんが自作以外の詩を朗読するとき、伝達者として朗読という言い方が出来るかもしれない。大きな演出をせず、ことばを解き放つような朗読だ。聞く者が、そこから自分の音を作り出していけば良い朗読とも言えるかもしれない。Pippoさんの声を通して入って来た詩が、やがて独自の声を持ち出すことを期待しての朗読とも言えるだろう。しかし、自作の詩のせいだろうか。いつもとは少し違うタッチの朗読。13年前の「Hands in my pockets」と最近完成させたという「どうかお幸せになんて、嘘っぱちだ」の2篇が朗読された。聴きながら、Pippoさんの実作者としての面をかいま見たような気がした。もっと、自作の朗読を聴きたくなった。

 第3部として、参加者からの質問・感想コーナーが設けられた。お二人のみごとなパフォーマンスに引き出されたかのように、鋭く、愉快な発言が続いた。初めてのイベントとは思えない会場の雰囲気を、今も楽しく思い出している。それにしても、お二人の呼吸の合い方は見事だった。またお二人で、別の詩人を取り上げていただけないだろうか。ポカフェとは違ったかたちで、詩人の姿が浮かび上がるようにも思うのだが。

 ポエトリーアワー本編終了後に行なわれた、会場を使ってのミニ打ち上げにも35名の方が残られていた。これも参加者にとって、本編が豊かな時間であったことの証拠と思う。そこまで含めて、ほんとうに豊かな時間を過ごせたことをあらためて感謝したい。

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