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2011年4月

ポエトリーカフェ参加の記 第2期の1 (八木重吉)

 昨年の10月30日に第1期の最終回を迎えたPippoさん主催のポエトリーカフェ(ポエカフェ)も、いよいよ第2期が開始された。第2期第1回は4/23に行われた。半年ぶりのポエカフェだ。取り上げられる詩人は八木重吉。Pippoさん主催の近代詩復興委員会の八木重吉担当支部長(貧しき信徒 支部長)を名乗らせていただいている身としては、嬉しいと同時に、やや緊張しながらの参加となった。時間は2時間半と、第1期より長いが、あっという間に楽しく過ぎていった。

 会場は、「ちめんのかや」さん。西武新宿線沼袋駅から8分ほどの住宅街にある、ちょっと不思議な感じのする店。店を見つけるのが、最初の楽しみ(?)かもしれない。いったん地下にくだってから、2階にあがっていくとギャラリースペースあり、そこが会場だった。参加者は14名。新しい方が多く、Pippoさんの詩の輪が着実に広がっているのを感じられた。もちろん、なつかしい顔も何人いらっしゃる。はじの方に座っていたら、始まるや、支部長はこちらへと、Pippoさんの指定で隣の席へ。緊張。

 詩人の生涯を紹介しながら詩を読んでいくスタイルは、以前と同じだ。ところが、今回は驚きの「重吉くじ」が登場した。希望者は希望した詩を朗読できるが、今回は申し出が無かったので、全員がくじをひいて、そこに書いてある重吉の詩を朗読するという趣向だ。(私が引いたのは「息を 殺せ」。第一詩集『秋の瞳』冒頭の詩であり、このブログでも紹介した。)

 いきなりのことで、おどろいた方もおられると思うが、この企画が今回のポエカフェでは、とても印象深いものとなった。『秋の瞳』、『貧しき信徒』、2つの詩集におさめられた重吉の詩は、とても短いものがほとんどだ。さらっと読めばそれですんでしまうような印象もある。しかし、いざ朗読となると、独特の難しさがあるというのが、これまでの私の感覚だった。

 皆さんの朗読は、ひとりひとりまったく異なる味のものだった。読み手それぞれの個性があらわれる。そのどれもが、印象深い。そこで感じたのは、重吉の詩の奥深さだ。むしろ技巧をこらした朗読をこばむような詩といってもいいかも知れない。(朗読音源『てふてふ2』に所収のPippoさんの朗読は、その点、ほんとうにことばにそって読んでいると思う。初めて聞いたとき、その沿い方に衝撃を受けたことを思い出す。)

 『秋の瞳』、『貧しき信徒』の2つの詩集に治められた詩は、いずれも短いものが大半だ。特に『貧しき信徒』では、それが顕著だ。残された詩稿には、それなりに長いものもあるが、自ら詩集に選んだ詩は、短い。少ないことばで、じぶんの書きたいことをどれだけ書けるかに挑戦して行ったかとさえ思う。「研ぎすまされた豊かさ」とでも表現できるかもしれない。さまざまな朗読が、その豊かさのどこかに触れて響き合うように思えた。不思議な、すばらしい経験のひとときだった。

 また、今回はいつになく初めての方が多かったが、一人一人が朗読することで、それをきっかけに皆さんの重吉への感じ方を聞くことができた。ギャラリースペースの板の間にクッションを敷いての円座という形もよかったのだろうか、様々な角度からの発言が聞けたのも楽しかった。その中で印象的だったのは、他の人が言えばネガティブな感覚のことも、重吉だと決してネガティブにならないということだった。「研ぎすまされた暖かさ」があるからだと言えるかもしれない。重吉の生き方を思う。

 奥さんの「とみ」さんへの一途な思い。奥深い詩の世界。いろいろなことが重なって、さらに重吉の魅力がひろがっていくようだった。支部長としてふさわしく発言できたかは心もとないが、皆さんの朗読や発言を通して、さらに重吉に惹かれていく時間だった。

 
 

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