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2011年10月

ポエトリーカフェ参加の記 第2期の6 (中野重治)

 今回のポエカフェが開催されたのは、9/24。すでに2週間近く前になる(当日のようすはPippoさんのブログで)。取り上げられた詩人は中野重治。今も、中野重治の詩集を読み返し、小説「梨の花」を読んでいる。ゆっくりと読み続けていきたい思いが続いている。これまでもポエカフェ後にもっと読みたいと思う詩人は、何人もいたし、全集を読み続けている詩人もいる。しかし、今回の中野重治には、また違う感覚を覚えている。

 全集第1巻におさめられた詩は74篇。詩作の中心は3~4年の期間に集中している。中野重治の生涯の中で、詩をさかんに作っていたのは、ごく短い期間にすぎない。全集は28巻に別巻の29冊。彼の著作の大半は散文だ。その詩人の生涯を紹介しながらともに作品を読み語り合う時間はあっという間に過ぎていった。詩人の生涯の紹介も、30歳後半位までで時間となった。作品の紹介も最後はやや駆け足気味になるほど。一篇一篇の詩について、参加者の話が広がっていった。

 プロレタロア詩人としての中野重治。それだけに歴史的背景との関わりが大きい。歴史の知識を必要とされる部分もある。それゆえに、詩自体をそのまま受け取ることを難しくしているかもしれないとも感じる。その部分で、躊躇される方もいるかもしれない。たしかに、歴史的背景は見逃せないが、彼の詩は、そこにとどまらないと感じている。

 『歌』では「お前は歌うな/お前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな/風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな/…」とうたった中野重治。しかし、プロレタリア詩と呼ばれる彼の詩にはおさえきれない叙情がたっぷりと含まれている。読むほどに、それが伝わってくる。プロレタリア詩を特別に読み込んでいる訳ではないが、たんなるスローガンの羅列のような詩もあるプロレタリア詩の中にあって、彼の詩は特別なもののように感じている。

 ポエカフェの朗読くじで「汽車 三」があたった。「百人の女工が降り/千人の女工が乗りつづけて行くのを」という箇所に込められた、詩人の思いが迫ってくる。「女工とは何か/紡績女工とは何か/会社 工場 煙突 寄宿舎とは何か」と続くことばには、搾取する者への怒りを見ることが出来る。しかし、朗読しながら、深い雪に閉ざされる日本海側の冬の風景が浮かんできた。抽象的な「女工」ではなく、雪国から働きにでざるを得ない、一人一人の女工が抱えている現実を詩人は見つめているように思う。

 激しい弾圧を受けながら活動を続けていた詩人。その中野重治が周囲の予想を裏切って「転向」と言われる行動にでる。それ以降、詩作から離れていく中野重治。1936年に創刊された「詩人」には客員として名を連ねてはいるが、詩は発表していないようだ。

 「転向」後、散文へと進んでいった中野重治にとって、詩とは何だったのだろうと考えざるをえない。戦後日本共産党に入党し(後に脱退するが)て政治的活動を続けた中野重治。彼の目指していたものと「詩」とはどんな関係にあったのだろうか。

 まだ、中野重治を読み始めたばかりの私にとって、疑問は広がり続けている。プロレタリア詩と言われる詩を書きながら、そこに押さえきれない硬質の叙情をうたった詩人、中野重治。彼はなぜ詩を書くことをやめてしまったのだろうか。そのことを考え続けたい。それは答の得られない問いかもしれないが。

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