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2012年9月

「シンプル・イズ・ベスト」 ポエトリーカフェ参加の記 第3期の4(杉山平一)

 詩姫Pippoさん主催のポエトリーカフェに参加することで、今まで知らなかった詩人に出会う機会を得て来た。今までで30人近い詩人とポエカフェを通じて出会ってきた。参加を重ねる中で気がついたのだが、取り上げられる詩人によって、少しずつ会の雰囲気が異なるのが面白い。今回は、前回の小熊秀雄とのギャップが大きかったこともあるのか、ことにその感じが強い。Pippoさんも「みなさん、いつもより、おだやかでやさしいかんじしましたもの。笑」とツイートされていた。

 みなさんがKAKKAcafeさんの特製のフードをおいしくいただく中、そんなやさしい雰囲気で会を満たしたの詩人は杉山平一。1914年11月に生まれ、2012年5月に97歳で亡くなられた。1945年8月の敗戦で区切られたそれまでの戦争を体験し、神戸の震災も体験した詩人。そして最晩年には、昨年の東北大震災を目の当たりにして、刊行された詩集『希望』。戦中から戦後に書けた、長い間、父親の会者経営を助けながら、破産に間で追いつめられたこともあるという。しかも、幼い長男と次男をともに病気で亡くしている。

 生涯に約10年に1冊のペースで7冊の詩集。その生涯で厳しい場面をいくつも経ていながら、彼の詩のことばには、けっして叫ぶところがないように感じられた。平易なことばでつむがれる詩の世界。とても参加された古書ますく堂さんも書かれているように、とっつきやすく、心にもすっと入ってきやすい。それも会の雰囲気の一因となったかもしれない。

 今回も、朗読くじによって引き当てた詩を皆で朗読する。そのたびに、いろいろと発言があるが、目立ったのは「この部分言わなくても…」といったもの。たしかに、初期の作品は、わたしなどでも、説明的?と感じる行がある。(第1詩集『夜学生』におさめられた「橋の上」でも尊敬する先輩詩人から最後の1行はいらないと指摘されたという。それは「人間は孤独だから」という1行。』)

 そんな中でとても印象に残った発言がある。それはSさんの発言。私なりの受けとめ方だが、二つの点が印象に残った。一つは杉山平一の詩が「構図的」という指摘だ。映画評論の世界でも活躍されたとのことだが、とてもうなづける指摘だった。よけいと見える1行も、全体をどうしても一つの構図としてまとめようとするところからと考えると納得いくような気がする。

 さらに印象的だったのは「視点」の問題。構図も、初期の上から見ているような視点が、しだいに見上げるものへと変わってるのではという指摘だった。花や恋をうたわずに、生活の場を中心としてことばを紡いで来た詩人。その生涯の苦しさのなかで、このような変化をとげていったのだろうか。

 会を前に予習のつもりで読んでいるとき、入ってきやすい作品とそうでないものの間にある差がどこからくるのか、とても気になっていた。作品の善し悪しという観点もあるだろうが、わたしにとってはSさんの発言が、大きなヒントになりそうだ。

 いつもSさんの発言には教えられる点が多い。もちろん、彼一人だけでなく、みなさんの発言から読み方の広がりを感じることができるのもポエカフェの楽しみ。杉山平一のような平易なことばでつづられた詩こそ、その楽しみが大きいようにもあらためて思う。

 今回は、久しぶりに、妻アンジーといっしょの参加だったが、妻も杉山平一の背景にとても興味を持ったという。会を終え、杉山平一という詩人はどういうひとだったのだろうと話しながら帰った。晩年の彼の短い作品のことばにこめられた思いが、どのようなところから来ているのかわたしもとても気になっている。

 シンプル・イズ・ベストということばが、詩集『木の間がくれ』にある「単純についてーー父に」にある。「たとえ 乗り継ぎ・乗り換えがあったとしても・この切符を握りしめて・私は行き 行き・どこまでも行くでしょう」とうたった詩人。そのシンプルなことばの中に広がる世界。ときに説明的でありながらも、それは読み手の中で大きく広がる余地をもった世界へとつながっていっている。

 『希望』におさめられた「わからない」の最後の1行「犬の名はジョンといいます」に今でもひっかかっている。

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