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2012年10月

「大陽のように」 ポエトリーカフェ参加の記 第3期の5(竹中郁)

 9月22日に開催されたPippoさん主催のポエカフェ。第3期の会場となったKAKKAcafeさんが毎回アイデアをこらして作ってくださる特製フードを今回も堪能しながら、会は進む。Pippoさんと知り合って1週間!という初参加の方も交え、竹中郁の生涯が紹介されながら、ともに詩を読んでいく。

 第35回目となるPippoさん主催のポエカフェ。紹介された詩人は36人。そのうち27回に参加させていただいた。二十数人の詩人との出会いがその間にあったことになる。今回出会うことになった詩人は竹中郁。第1期の第3回で北園克衛とともに取り上げられていたのでリターンズという扱いだ。第1期の時は、開催を知りながらも参加できず、とても残念な思いで、図書館から借りて来たエッセイ集『消えゆく幻灯』を読んでいたのを思い出す。

 その時から気になりながら、きちんと読む機会を失していたのだが、今回のポエカフェは、とてもよ出会いの時となった。個人的には、これまでで最高のものと言えるかもしれないと、今も思っている。竹中郁はPippoさんの背骨の1本ということだが、私の細い背骨の2本目になりそうな感をもっている。

 配布された資料に記載された詩は、25篇。その他に、戦後になって竹中郁が力を尽くして指導した児童詩誌『きりん』からも3篇とられていた。戦前の詩にも興味深いものが多いのだが、『動物磁気』以降の戦後の詩が特に心に入ってくる。

 その理由を会の最中も考えていた。参加者のみなさんからの発言もさまざまに進められていくが、その中で「育ちのよさ」というようなことが話題になる。たしかに神戸で生まれ、子どもの頃から洋品を身につけるように育てられたというから、当時として裕福な中で成長していたことは間違いない。

 明るい太陽のような人という印象を周囲に与えていたというエピソードも紹介された。ただ、ただ明るいだけとは思えないものを感じていた。確かに明るいののだが、その明るさの厚みといったようなものを感じながら聞いていた。

 会が終わってからもそのことが気になっていた。そんなとき、『全詩集』に収録されている井上靖の「竹中さんのこと」に「私たちの仲間で一番暗くあって然るべきなのは竹中さんであったかも知れない。氏は戦火によって生家も、養家も、ご自分の住居も、そしてたくさんの蔵書もすっかり焼いてしまってるのである。氏はそうしたことから受けられた筈の心の打撃、その片鱗をも見せなかった。構えているわけではなく、それがごく自然であった。生粋の、天成の詩人として身に着けているものが、氏をそのようにあらしめたのである。」とあるのに気づいた。

 「生粋の、天成の詩人」このことばが、何を示しているのかが、今は気になっている。それが竹中郁の詩のことばに光とともに厚みを加えているのだろうか。生きることに正面から向き合いながら、ひとりのいのちの大切さとも向き合う。それは、戦後の児童詩誌への力のいれようにもつながっているのだろうか。実は、外の世界との緊張を、戦前の作品を読んでいる時に感じていた。その緊張感が、戦火をくぐる中で変貌しながらも、外には太陽のような人物として映る竹中郁。表に出てこない厚みの中にあるものが、気になってしかたがない。それだけでも読み続ける価値があるだろう。

 そんな竹中郁が、戦後、力を尽くした児童詩誌『きりん』。通巻220号まで刊行したが、刊行を終えた後も晩年の1980年まで「子ども詩の会」を続けていたという。残念ながら『きりん』は未見だが、ぜひ見てみたい。

 今、この記事を『竹中郁全詩集』を脇に置きながら書いている。残念ながら、臨市の図書館のものだが、今、この本を自分の蔵書に加えたく強く思っている。それとも、少しずつ書き写してみようかなどとも思っている。

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