« 2012年12月 | トップページ | 2013年3月 »

2013年2月

「探り続けたい」 ポエトリーカフェ参加の記 第3期の8(高見順)

 1月26日に開かれたポエトリーカフェ高見順篇。Pippoさん主催のポエカフェも第3期第8回となった。会場は「中庭の空」さん。前回に続き2回目だ。少し早めに新江古田駅から歩く。早めに着いた顔なじみの方々がいる。中庭の空さんに置いてある詩集をみたり、早めに着いた方達と話しているうちにPippoさん到着。やがて、参加者が集まりいよいよ高見順篇の開始。今回は、体調不良でのキャンセルが若干あったが、初めての方も1名おられた。

 今回取り上げられたのは高見順。私の若い頃なら、まあ名前を聞くこともあったが、最近はまったく埋もれている感が強いようだ。テレビでも活躍していた娘の高見恭子を知っているかどうかも、世代で違うことが自己紹介の時に明らかになったほど。そんなことも含めて、いつもの和やかな雰囲気でポエカフェは進んでいく。

 浅学にして、詩人としての高見順の認識はなかった。予約してから、あわてて読み始めた(いつも似たようなものだが)。ポエカフェでは、戦前の小説『故旧忘れ得べき』や『如何なる星の下に』はじめ、散文の作品も紹介された。(生涯に関しては参加者のますく堂さんが、ブログにうまくまとめてくれている。ぜひこちらも)

 第1詩集は1950年の『樹木派』だから、高見順43歳の時だ。出版された詩集は『樹木派』の再録を含む『高見順詩集』を入れて4冊。決して多くはない。そこから、数篇ずつが紹介された。いつもは朗読くじによる参加者の朗読があるが、今回はくじではなく、Pippoさんの指名による朗読だった。またちょっとしたドキドキ感があって、これも良いかもしれないなどと思いながら、会は進められていった。

 アンケートにも書いたが、今回印象的だったのは、会が終わってからも参加者がそれぞれの思いで、互いにいつもより話していたことだ。高見順のことば、そしてそれを紹介するPippoさんの熱いことばに、いろいろな反応が始まっているようだった。どうしてもPippoさんに話したいことがあると言っておられる方もいたほど。

 ポエカフェの日からすでに1週間以上経っている。今も私の部屋には最後の詩集『死の淵より』をはじめとして、高見順の本が何冊もある。小説『故旧忘れ得べき』など、小説も図書館から借りて来ている。すでに次回のポエカフェに申し込んだことだし、課題となる永瀬清子の作品も読みたいのだが、高見順から離れられずにいる。特に『死の淵より』に描かれた世界が心に残る。そこに至るまでの歩みをたどるように、他の作品にも手が伸びる。プロレタリア文学集18におさめられた作品からもいろいろと考えさせられる。

 『死の淵より』について、そこから受ける印象を表す言葉を、いまも探している。いやおうなしに「死」に直面させられた詩人が残してくれた作品の一つ一つに、どうむきあったらいいのだろう。

 時に、死の現実を嫌悪しながらも、詩作によって乗り越えようとするかのように思える。『帰る旅』の最後に「私もこういう詩をかいて/はかない旅を楽しみたいのである」とあるが、自分に言い聞かせているようにも思えて仕方がない。

 使われていることばは、あくまでも平明なものだ。平明なことばで書かれた詩は、読む者を遠ざけない。しかし、そこに込められた作者の思いは、研ぎすまされている。ここまで書いてきて、もう一度、高見順の世界の奥行きに突き当たっている。

 「つめたい煉瓦の上に/蔦がのびる/夜の底に/時間が重くつもり/死者の爪がのびる」『死の淵より』冒頭の詩『死者の爪』だ。この詩集が、この詩で始められていることが心に強く残る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年12月 | トップページ | 2013年3月 »