「こころつかまれて」 ポエトリーカフェ参加の記 第3期の9(永瀬清子)
2/23に開かれたPippoさん主催のポエトリーカフェ。早いもので第3期も8回目。次回は第3期ファイナルとなる。月1回のポエカフェに参加することが、いつの間にか日常の一部になっている。それは、詩を読むことが普通のことになっているということになる。時に詩集を開き、好きな詩人もいたが、ポエカフェに参加する前では考えられなかったこと。ポエカフェを通じて、詩人とそして参加される方々との新しい出会いが、とても嬉しい。
今回は久しぶりに妻アンジーと一緒の参加。ここのところ忙しくて参加できなかったアンジーは、忙しいからこそ、参加したいといって、ぎりぎりで申し込んでの参加。妻は会場の「中庭の空」さんは初めて。少し早めに着くと、Pippoさんとカヒロさんが準備中だった。ほどなく、常連さんが到着し始める。ポエカフェの楽しみの一つが特製フード、早い者勝ちになることもあるので、早速注文。「ローズペコー&イチボー」はとても美味。永瀬清子の『薔薇詩集』にちなんだもの。アンジーも満足。ポエカフェに特製フードは欠かせない。
さて、今回の特徴は、久しぶりの方や、はじめての方がいつもより多かったこと。それにもかかわらずと言っては失礼かもしれないが、会を終える頃には、皆さんが積極的に発言され、それぞれに永瀬清子の詩に心を動かされたことが、はっきりと分かる会となっていた。(当日の様子はこちらの「古書ますく堂のなまけもの日記」にも記載されているので、こちらもぜひ!)
今回の資料には、『グレンデルの母親』から始まって10篇の詩が記載されていた。朗読くじであたった詩を各自が読み感想を述べあっていくスタイルはポエカフェではおなじみのスタイル。参加された方々からのアンケート回答がすでにPippoさんのブログに掲載されているが、それを読んでいると会の盛り上がりがよみがえってくる。(Pippoさんのブログはこちら、ぜひ!)個人的には、「女の戦い」の朗読が今回のポエカフェで、もっとも印象的だった。晩年の刊行された詩集『あけがたにく人よ』の最後におさめられたとても長い叙事詩。
一人の女性として、妻として、母として生きて来た永瀬さんの思いが込められたすばらしい詩篇。それを何人もの参加者でリレー朗読となった。他の詩も含めて朗読箇所はくじ引きで当たったところ。わたしも「女の戦い」の一部があたった。一つの詩ではないので、前の人の朗読にどう続けようなどとも考えたが、よい知恵などあるはずもなく、自分なりの朗読。終わってみると、不思議と1篇の詩として朗読がつながっていた。詩のことばのちからだろうか。
朗読後の皆さんの声も、とても積極的かつ印象深いものだった。女性、男性、それぞれの立場からの発言も含め、自分に引き付けての発言が多かったように思う。いや、永瀬清子の詩のことばが、そのような発言を引き出してくるのだろう。男女によって受け取り方は違っても、性別を越えて訴えてくる普遍性を獲得したことば。そんなことばの力を強く感じた。
永瀬清子との出会いは、6~7年前になるだろうか。本人の朗読音源を聴いたのが最初だった。その後、あるイベントでのPippoさんの朗読を聴く機会もあり、図書館で詩集を借りて読んでいた。そのころから、とても気になる詩人だったが、今回のポエカフェを機に、あらためてできるだけ読んでみた。
「あけがたにくる人よ」を読んでいる時だった、今までにない心のつかまれ方をした。電車の中でのことだったが、今でもその感覚が残っている。また、今回のポエカフェでは朗読資料にはなかったが、『短章集』も独特のスタイルですばらしい。永瀬清子の詩の底にあるものが、時に表に出てくるような作品集と感じている。できれば、最初に出された装釘で手許に置きたい。
これまで、ポエカフェでさまざまな出会いがあったが、今回のポエカフェでの永瀬清子とのあらためての出会いは、忘れられないものになることは間違いないだろう。『グレンデルの母親』から始まって
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