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2013年5月

「はなしは尽きず」 ポエトリーカフェ参加の記 第4期の1(木下杢太郎)

 Piippoさん主催のポエトリーカフェ(ポエカフェ)も5月19日の会で、いよいよ第4期に入った。第3期の最終回は3月だったので、定例会としては1ヶ月間があいた(4月の特別篇には、時間の関係で参加できず 涙)。久しぶりのポエカフェの場に、連れ合いアンジーとともに向かう。会場は「中庭の空」さん。明るい雰囲気のすてきなお店。アンジーも今回取り上げられる木下杢太郎ファン(ただし「絵」中心と本人談)。二人して、心躍らせながら会場に向かった。

 新しい方も多く(何と3割)、会の広がりを感じる中、恒例の自己紹介から開始。「杢太郎と私」や「今までみた一番うつくしい景色」のお題が出た。「うつくしい景色」では、皆さんそれぞれに印象深い思い出をもっておられ、心にしみる。この時間の皆さんのお話、じつはかなり好きだ。そんな中で、初参加の方も含めて、和やかな雰囲気ができあがっていく。

 Pippoさんの杢太郎紹介は、快調に進められて行く。杢太郎の人生の紹介とともに詩が読まれて行くが、どうしても避けられないのが『パンの會』。それについての資料も、しっかり1枚用意されていた。さらには北原白秋の詩の資料まで。杢太郎の世界のさまざまな背景がそこにある。参加された皆さんの朗読を聴くのも楽しい。初参加の方々を巻き込み、盛り上がり、気がつけば予定時間を越えそうになるが、Pippoさんの「もう少し大丈夫ですか」の声に、皆さんOK。あっというまの2時間半越えのポエカフェだった。

 さて、木下杢太郎についてだが、今のように詩を読むようになる以前、10年以上も前のこと、たまたま伊東にある杢太郎の記念館に立ち寄り、そこにおかれた植物の絵の素晴らしさが印象に残っていた。その杢太郎にあらためて出会ったのが、昨年の4月29日に開かれた『春の特別篇 パンの會』篇の時。それ以来、詩人としての杢太郎にも興味がふくらんでいた。

 北原白秋との交流を思わせる初期の作品の言葉選びや、キリシタンを題材とした詩がまず印象に残る。『パンの會』の時期に書かれた一連の詩からは、そのころの雰囲気がわきたってくる。江戸情緒の世界が残る中での、ヨーロッパの風に憧れる人々の姿、その中に杢太郎がいる。詩のことばもその中で揺れ動いている。声を出して読めば、そこに吸い込まれていくようだ。

 『パンの會』が初期の目的からずれ、酒宴の場となって行く中、杢太郎だけは、その目的を一途に求めたといわれる。そんな杢太郎の世界は、詩にとどまらず、戯曲や随筆、小説とあまりにも広い。岩波書店版の全集は25巻に及ぶ。詩はそのうち第1巻と第2巻だけということからも、その活動範囲の広さが分かる。しかし、その文学的業績は40代初めでほぼ終わっているといわれる。

 「本業」としては医者としての生涯をすごした杢太郎。晩年に素晴らしい作品を残している。今回の参加者にPippoさんから記念館で売っているハガキサイズの植物画が贈られた。これは、杢太郎が晩年の2年間、入院するまで描き続けた「百花譜」からのもの。2年で872枚というその数とともに、その作品の素晴らしさに驚嘆する。

 晩年は「ハンセン病」の研究に没頭する。当時、不治の病であり当たり前とされていた「ハンセン病患者」の隔離政策に対して、それをよしとせず、治るものであるとした木下杢太郎。本名、太田正雄。その医学的努力は必ずしも報いられなかったが、そこにも彼の一途さがうかがえるようだ。実は、今回のポエカフェに先立って図書館から借りてきた本の中に、杢太郎の医学的業績に光りを」あてたものがあった。それもあって、木下杢太郎という人物をさらに知りたくなっている。

 パンの會での彼の位置や、随筆や戯曲も含め、Pippoさんには、ぜひ木下杢太郎篇パート2をお願いしたいなどと思っている。

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