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2013年7月

「源流をもとめて」 ポエトリーカフェ参加の記 第4期の3(上田敏)

 7月20日の土曜日午後、参加したくも参加できず悔しがっていた連れ合いのアンジーの思いをともに、ポエカフェ会場の「中庭の空」に向かう。午後3時からの開催。少し早めに着くも、すでに何人もの参加者が到着している。用意されていた特製フードは、あっという間に売り切れ。江古田で有名なマロンパイも美味しく、さらに合わせて用意されたアイスティーも心地よい。

 第4期第3回となる今回、取り上げられた詩人は、上田敏。訳詩集『海潮音』をもって、当時の詩壇に衝撃を与えた人物だ。自作の詩はわずかしか伝えられておらず、ポエトリーカフェで取り上げられる詩人としては、異色といえるだろう。資料にも、『海潮音』と『牧羊神』を中心に、「ボドレエル」「ダンテ」「ヴェルレエヌ」「ブッセ」などの名前が並んでいる。

 そんなこともあってか、今回配布された資料には、今までとは趣を異にするPippoさんの渾身の労作(小論)が添えられていた。題して「明治・大正期の日本近代詩の発生と展開について」。A4用紙にびっしりと印刷されたそれは、記載された年譜とともに、今回のポエカフェでの大きなプレゼントだった。特に大切に保管しよう。(他の資料もちゃんと保管してます)

 上田敏自身の生涯に入る前に、まずはこの資料から、上田敏、そして『海潮音』がどのような位置を占めていたかをPippoさんが紹介していく。そのはじめに、1882年(明治15年)に刊行された『新体詩抄』が紹介される。復刻版だが、その和綴じで仕上げられた本の版面からは、明治の香りがただよってくるようだ。参加者一同、回覧されてくると興味深く見入っていた。

 上田敏が『パンの會』に出席した時、大歓迎を受けた様子も紹介された。北原白秋、さらには萩原朔太郎等への影響やつながりが話されていく。自作の詩は数少ないながら、その翻訳を通しての上田敏の大きさを思う。(今回も「パンの會」についての資料が添えられた)

 いよいよ、上田敏の生涯の紹介に入っていくが、いつもの通り「朗読くじ」もまわってくる。いつものことながら、今回は特に何が当たるかドキドキする。雅文調といわれる翻訳文体のゆえに、朗読は現代人にとっては、けっこう難しい。ひきあてたのは『海潮音』所収、マラルメの「嗟歎(ためいき)」だった。資料の中では読みやすい方かもしれないが、Pippoさんの解説に耳を傾けながら、ちらちらと見ながら目をならしておく。

 慣れない者にとっては、今となってはとっつきにくさもあるだろう、雅文調の翻訳文体。しかし、フランス象徴詩を中心に編まれた、この訳詩集の見事さに圧倒される。大学院時代、小泉八雲から「英学生として、一万人に一人の傑出した才能」と激賞されたという敏。海外作品の鑑賞眼とともに、日本語の力、感性の力の桁外れを感じる時間となった。

 資料の最後の方には、ランボオの「酔いどれ船」の上田敏の訳(未定稿)とともに、堀口大學、金子光晴の訳の同じ箇所が抜粋されていた。訳者により差異がこれほどとは驚くほどに三者三様だ。敏が「黒き香」と訳した所を大學は「陰惨の匂いを上げつ」、光晴は「へんな臭気を放って」としている。Pippoさんや、参加者の皆さんの声を興味深く聞いた。

 萎縮腎のため1916年43歳で亡くなった上田敏。遺稿詩集としてだされた『牧羊神』を読んでいくと、『海潮音』とは、その文体が変わってきているのを感じる。晩年まで、活発に活動していたと資料にある。今回の資料にも、その時期のものも含まれている。それを見ても、上田敏という人物が残してくれたものを、できるだけ読みたいと思わせてくれる、楽しい時間だった。(臨市の図書館に「定本 上田敏全集」がそろっているのです!)

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「空っぽの底に」 ポエトリーカフェ参加の記 第4期の2(吉井勇)

 遅くなったが、先月29日に開催されたPippoさん主催のポエカフェ吉井勇篇の参加記を残しておく。会場は4月以来の「あぶくり」さん。ポエカフェも第4期第2回、通算で46回目とのこと。1期の途中から参加させてもらっているが、こつこつと続けていくPippoさんと影で支えるカヒロさんの努力は、ほんとにすごい。久しぶりの参加となったMr.一箱の南陀桜さんから、「ペンギンさん、皆勤?」と聞かれ、「残念ながら…」と答えた時に、あらためて、こんなことが頭をよぎった。

 新しい方も4名?ほどおられる中、いつものように自己紹介から始まる。いつもこの時間がけっこう長いのだが、今回は短め。恒例の「お題」がなかったからか。それにしても、今回配られた資料、ポエカフェ史上でも記録に残る多さではなかろうか。吉井勇の短歌だけでも80首を越え、実際には触れる時間はなかったが、現代短歌も20首はある。歌集の書影や、パンの會の資料(これ前回もありました)、さらには、吉井勇作詞、中山晋平作曲の「ゴンドラの歌」の歌詞の入った資料と計8枚!

 会自体のスタイルは、いつものように、Pippoさんが吉井勇の生涯を紹介しながらくじで当たった作品を参加者が読むという形だが、ちょっと違うのは、くじには短歌が4、5首書かれている中から2首選んで読むというところ。それぞれの好みが出る方法で、面白い。(自分の感性を磨くのに良い方法かもしれないと、あとで思う)ちなみに私が読んだのは、以下の2首(いずれも『東京紅燈集』より)

 紅燈のひとつふたつに誘われて放埒の子となりにけるかな

 新橋や闇を掠めてしん竹の 車過ぐれば雪となりぬる

 今回取り上げられた吉井勇、前回の木下杢太郎に続いて「パンの會」のメンバーであり、杢太郎や北原白秋らとともに九州旅行をし、「5足の靴」を残したメンバーだ。その頃の作品をまとめたのが第1歌集「酒ほがい」。「酒ほがい」、辞書には「酒宴をして祝うこと」とある。酒を好み、前半生においては特に紅燈の巷に時を過ごすこと多かった人物のようだ。東京出身だが、後半生は京都に住み、祇園にも歌碑が残っている。

 かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水野流る

 私が読んだ2首も、そんな背景からのものだろう。放埒の子となるしかない自分を、やや斜に構えて歌っているのかとも思うし、古い花柳界の匂いを感じさせるものとの思う。

 20歳過ぎからの50年余の歌人としての生涯で30冊の歌集を残したという。その部大な作品の一端を少しだけのぞいたのだが、会の最後にPippoさんが吉井勇の歌を評することばとして紹介した「美しい空っぽの歌」ということばが今も残っている。

 晩年には、寂しければとはじまる35首を残すなど、作風は変わるところもあるようだが、そのそこに一貫したものを感じている。生きていく中で、わき上がってくる思いをそのまま、かつ巧みに歌にしていったかのような作品群。日々生きることと、歌を詠むことが密接に結びついていた歌人なのだろう。「美しい空っぽ」のもつ魅力とは何かと考えさせられる。

 空っぽの底に、最初から最後まで深いかなしさを感じる。新華族の家に生まれ、裕福な環境で育った勇。家は次第に没落していくとはいえ、若い頃には放埒に身をまかすことのできた環境もあった。その一方で維新の志士であり、その活躍により爵位を得た祖父の死が勇に残した強烈な印象。それについて本人が『生い立ちの記』に記している。脳溢血で倒れた祖父について、『古風な大形の鉄の寝台の上に横はっている祖父の体は、殆ど一刻の休みもなく激しい痙攣に顫へていて、子供心にももう死が間近に迫っていることが感じられた。」とある。勇が6歳の時のことだ。幼くして死と強烈な形で向き合わざるを得なかった勇。これらのことが与えた影響を考えている。

 さて、最後に今回のポエカフェ、もう一つポエカフェ史上はじめてのことが、あった。それは、最後に「ゴンドラの歌」をみんなで歌ったこと。黒沢明の「生きる」でも印象深く用いられたこの歌。意外と若い方にも知っている方がおられ、けっこう声を合わせて歌うことができた。(こんな終わり方も時には楽しいかも。)

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