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「空っぽの底に」 ポエトリーカフェ参加の記 第4期の2(吉井勇)

 遅くなったが、先月29日に開催されたPippoさん主催のポエカフェ吉井勇篇の参加記を残しておく。会場は4月以来の「あぶくり」さん。ポエカフェも第4期第2回、通算で46回目とのこと。1期の途中から参加させてもらっているが、こつこつと続けていくPippoさんと影で支えるカヒロさんの努力は、ほんとにすごい。久しぶりの参加となったMr.一箱の南陀桜さんから、「ペンギンさん、皆勤?」と聞かれ、「残念ながら…」と答えた時に、あらためて、こんなことが頭をよぎった。

 新しい方も4名?ほどおられる中、いつものように自己紹介から始まる。いつもこの時間がけっこう長いのだが、今回は短め。恒例の「お題」がなかったからか。それにしても、今回配られた資料、ポエカフェ史上でも記録に残る多さではなかろうか。吉井勇の短歌だけでも80首を越え、実際には触れる時間はなかったが、現代短歌も20首はある。歌集の書影や、パンの會の資料(これ前回もありました)、さらには、吉井勇作詞、中山晋平作曲の「ゴンドラの歌」の歌詞の入った資料と計8枚!

 会自体のスタイルは、いつものように、Pippoさんが吉井勇の生涯を紹介しながらくじで当たった作品を参加者が読むという形だが、ちょっと違うのは、くじには短歌が4、5首書かれている中から2首選んで読むというところ。それぞれの好みが出る方法で、面白い。(自分の感性を磨くのに良い方法かもしれないと、あとで思う)ちなみに私が読んだのは、以下の2首(いずれも『東京紅燈集』より)

 紅燈のひとつふたつに誘われて放埒の子となりにけるかな

 新橋や闇を掠めてしん竹の 車過ぐれば雪となりぬる

 今回取り上げられた吉井勇、前回の木下杢太郎に続いて「パンの會」のメンバーであり、杢太郎や北原白秋らとともに九州旅行をし、「5足の靴」を残したメンバーだ。その頃の作品をまとめたのが第1歌集「酒ほがい」。「酒ほがい」、辞書には「酒宴をして祝うこと」とある。酒を好み、前半生においては特に紅燈の巷に時を過ごすこと多かった人物のようだ。東京出身だが、後半生は京都に住み、祇園にも歌碑が残っている。

 かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水野流る

 私が読んだ2首も、そんな背景からのものだろう。放埒の子となるしかない自分を、やや斜に構えて歌っているのかとも思うし、古い花柳界の匂いを感じさせるものとの思う。

 20歳過ぎからの50年余の歌人としての生涯で30冊の歌集を残したという。その部大な作品の一端を少しだけのぞいたのだが、会の最後にPippoさんが吉井勇の歌を評することばとして紹介した「美しい空っぽの歌」ということばが今も残っている。

 晩年には、寂しければとはじまる35首を残すなど、作風は変わるところもあるようだが、そのそこに一貫したものを感じている。生きていく中で、わき上がってくる思いをそのまま、かつ巧みに歌にしていったかのような作品群。日々生きることと、歌を詠むことが密接に結びついていた歌人なのだろう。「美しい空っぽ」のもつ魅力とは何かと考えさせられる。

 空っぽの底に、最初から最後まで深いかなしさを感じる。新華族の家に生まれ、裕福な環境で育った勇。家は次第に没落していくとはいえ、若い頃には放埒に身をまかすことのできた環境もあった。その一方で維新の志士であり、その活躍により爵位を得た祖父の死が勇に残した強烈な印象。それについて本人が『生い立ちの記』に記している。脳溢血で倒れた祖父について、『古風な大形の鉄の寝台の上に横はっている祖父の体は、殆ど一刻の休みもなく激しい痙攣に顫へていて、子供心にももう死が間近に迫っていることが感じられた。」とある。勇が6歳の時のことだ。幼くして死と強烈な形で向き合わざるを得なかった勇。これらのことが与えた影響を考えている。

 さて、最後に今回のポエカフェ、もう一つポエカフェ史上はじめてのことが、あった。それは、最後に「ゴンドラの歌」をみんなで歌ったこと。黒沢明の「生きる」でも印象深く用いられたこの歌。意外と若い方にも知っている方がおられ、けっこう声を合わせて歌うことができた。(こんな終わり方も時には楽しいかも。)

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コメント

ペンギンさん
いつも、詩と詩人への真摯であたたかな洞察、ほんとに楽しくまた嬉しく、拝見しています。
ありがとうございます!
(そう!資料、今回まとめるのに14時間とかかりました。笑)

“美しいからっぽの歌”は、中井英夫(『黒衣の短歌史』にて吉井論を展開してるようですが)が、勇の短歌を評して、“光の函”といい、それをうけての細川光洋さんのおことば、ですが。
わたし自身も、勇の歌にかんじる、すなおにながれでる、そこに在る感情を、なんともいいようがなく。
たいへん、理解の一助になった言葉でした。

ともあれ、みなさんが、歌にふれ、その勇のこころのありように、(感化され?)楽しくふれておられるようすが、印象的で、わたしも楽しかったです。

あんな、歌のおわりもたまには、よいですね。
ps
アンジーさんのうつくしい歌声も印象的です^^

投稿: ぴっぽ | 2013年7月11日 (木) 02時04分

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