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2013年9月

「邪宗門秘曲から」 ポエトリーカフェ参加の記 第4期の5(北原白秋)

「われは思う、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。/黒船の加比丹を、紅毛の不可思議國を、/色赤きびいどろを、匂鋭きあんじやべいいる、/南蛮の棧留縞を、はた、阿刺吉、珍酡の酒を。/」(『邪宗門秘曲』冒頭)


 南蛮趣味にあふれる『邪宗門秘曲』ではじまる『邪宗門』によって、明治42年(1909)年、北原白秋は、詩歌壇に驚きと賞賛の念をもって迎えられたという。赤地に金文字、天金をほどこされたその装釘もまた華やかなものであった。復刻版で見ただけだが、その印象はとても強い。


 9月22日に開催されたポエカフェの課題詩人は、この白秋。後には多くの童謡も作り、むしろそちらの方面で知られているかもしれない北原白秋。いっしょに参加したつれあいのアンジーは、童謡のイメージががほとんどとのこと。伝説の第1回のポエカフェで取り上げられ、さらには2年近く前にリターンズとしても取り上げられた北原白秋。それでも、まだまだと思われたのか、3度目の登場となった。


 ここのところ、Pippoさんが大好きな『パンの會』にまつわる詩人が取り上げられて来たが、北原白秋も、それに該当。今回も『パンの會』の資料が配られたが、何部も持っている者は、それを使って知らない人に伝えるようにとの指令まで飛び出した。


 会場は久しぶりの神田・伯剌西爾。第1期の萩原恭二郎篇がなつかしい。新しい方も交えて、恒例の自己紹介から始まる。この時間、ポエカフェにとって、けっこう大切な時間だ。参加者ひとりひとりの声が聞こえ、初めての方も、自然に会の雰囲気に巻き込まれ(?)ていく。そして、これまた恒例の「朗読くじ」。今回は、くじが少しあまったので、二つ読む機会を得た。一つは、先にひいた『邪宗門秘曲』から、最初の3連。もう一つは、詩集『新頌』から、「十三時半の風景」。いずれもリターンズで取り上げられたいた詩。特に「十三時半の風景」は印象に残っている詩だった。


 「根があった。/高梁の枯れた畝竝、/黄色い土、/積み竝べた土糞、/ああ、それだけ。//木があった、ひとつひとつに、/影を落とした枯木であった。/ああ、それだけ。//…」と始まる。二つの詩の間には40年近い歳月が経過している。満州(今の中国東北地方)を舞台とした詩。「ああ、それだけ」という詩句が各連のさいごに繰り返される。『邪宗門秘曲』とはまったくことなる世界がそこに広がる。使われている日本語も全く違う。きらびやかさはなく、黄色い土の風が吹く乾いた世界がそこに感じられる。


 リターンズの時のアンケートには、「十三時半の風景」については触れなかったが、邪宗門秘曲について「白秋が、この世界をもっと深めて行ったらどうなったのかと思います。」と書いた。今もその思いはあるが、後期の作品に、より興味がわいてきている。姦通罪で訴えられ、人生の大きな転機を経た白秋。童謡を数多く作った白秋。今回は取り上げられていないが、『新頌』には「海道東征」という建国神話に基づいた作品までもある。


 晩年まで創作意欲は衰えなかったという白秋。短歌や、散文も含め作品の数も多く、岩波書店版の白秋全集は全40巻にもなる。しかも白秋の門下には、萩原朔太郎や、室生犀星、大手拓次がいる。萩原朔太郎の『月に吠える』には「序」を書いているが、朔太郎への愛情溢れるものとなっている。今回のポエカフェの資料にも、これらが紹介されたが、白秋の影響の大きさが、そこに見える。


 ポエカフェに3度取り上げられたのは北原白秋だけだが、Pippoさん、まだまだ語り足りないのではないだろうか。開催前には、「もうしばらくやりません」とおっしゃていたが、またの機会があるのではと、いや、あってほしいと思っている。


 最後にポエカフェ終了後に、思いがけない出来事があった。国立国会図書館の「れきおん」という歴史的音源を公開しているサイトがあるが、そこで公開されている音源に北原白秋が含まれていたのだ。『思ひ出』の「序詩」や「断章」が本人の朗読で聞ける。特に「断章」の朗読には驚かされた。サイトはこちら。ポエカフェ前に聞いていたらと思うと、残念なのだが、次の機会での楽しみとしたい。

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「永遠の詩」 ポエトリーカフェ参加の記 第4期の4(堀口大學)

 8月24日、いつもより遅い開始時間午後8時より少し早く、雨粒を感じながら雑司ヶ谷の「あぶくり」さんに到着。次々と参加者が到着。新しい方も何人か、中にはGoogleで検索して来られた方もおられた。また、第1期以来の懐かしい方の顔も。いろいろな方との出会いや再会もポエカフェの楽しみの一つだなと思っているうち、ふと気がつくと、かなりの男性率、あつて1度だけ開始時間には男性だけということもあったが、それ以来。理由は不明。

 自己紹介も飛ばしそうになるほどのPippoさん熱とともに会は始まっていく。取り上げられる詩人は堀口大學。前回の上田敏の『海潮音』とともに訳詩集『月下の一群』で、大正末期の若き詩人に絶大な影響を与えたという。『月下の一群』には66人のフランス詩人による300篇以上の詩をおさめる大作。これを33歳の時に刊行しているのだが、自らの審美眼によって訳し続けた結果と言う。今回の資料にも、8人・11篇が紹介されている。それもあって、前回に配布された、Pippoさん渾身の小論「明治・大正期の日本近代詩の発生と展開について」に堀口大學に関わる内容を補足した改訂版part2も配布され、まずは、その解説から始まる。その中で、堀口大學の大きさが浮かび上がってくる。「あぶくり」さんの用意してくださった特製フード「チーズケーキのごろっと果実ミックスベリー(いちご、きいちご、ラズベリー)がけ」を美味しくいただきながら、堀口大學の世界が広がっていく。

 いつも通りの朗読くじも配布。生涯の紹介とともに、参加者の朗読を聞けるのが楽しい。聞きながら、大學の日本語の広がりを感じる。自作の詩、翻訳詩ともに、日本語としてのここちよさがある。それでいて、日本語の枠を越えていくようなしなやかさを感じる。資料に紹介されている「作品に宿る詩の魂(芯)をつかみながら、的確に言葉をあてがう」ということは、こういうことなのかと、原詩を知らないながらに、納得させられる気がするから不思議だ。

 紹介された生涯の中で、印象的なのは、海外生活の長さと、その間の語学習得だ。外交官だった父親の赴任地へ着いていく形で、ブラジルを皮切りに、ベルギー、スペイン、パリ、…で暮らしている。スペインではマリー・ローランサンと交歓したという。フランスでは、自作短歌を自ら仏訳し『TANKAS』として出版までしている。序文はポール・フォール。この序文の日本語訳を読んでみたいが、探しても今のところ見つからない。

 豊かな語学力とともに、翻訳を通し、多くの詩人・作家を日本に紹介した堀口大學。翻訳書の多さにPippoさんも資料に書ききれないという、異例の状態。自らの審美眼で選んだ作品を自らの日本語で紹介していく姿は、あまりにも大きい。若い頃は体が弱かった堀口大學だが、生涯を通じて生み出した作品の数はあまりにも多い。資料に記載された自作詩、翻訳詩だけでも、その豊かさの片鱗がうかがえる。参加者からも、さまざまな感想が出される。

 朗読を聞き、紹介された詩についての皆さんの声を聞きながら、大學のことばへの海外生活の影響を考えていた。自らの短歌を仏訳できるまでの力は、日本語を中からではなく半ば外から見ることにもなるのだろうか。それにしても、大學の詩のことば、わたしにはとても心地よい。いや心地よいと言うより、肌が合うといったほうが良いだろうか。これまでポエカフェで出会った詩人の中でも、ちょっとこれに似た感覚が思い出せないでいる。

 その感覚を確かめたくて、今も堀口大學の詩集、訳詩集を読み続けている。晩年まで詩作を続けた堀口大學。資料に88歳の時の「お目あて」という詩がある。「ーー現代詩?/ーー小さい!小さい!/僕の狙いは/永遠の詩ですよ」という4行の短い詩だ。また「詩の道」には「AからBへ/詩の道は間道です/地図には出てない裏通り/誰も通らない/一度っきりの/細道です」とある。ここに込められた堀口大學の思いを考えている。最後まで詩人であり続けた堀口大學がそこにいるように思う。

 堀口大學への興味をかき立てられた今回のポエカフェ。あっというまに2時間余の時間が過ぎ去ってしまった。ぜひ、続編をと願いつつ、会場を後にした。

 

 

 

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