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2014年4月

「圧倒されて」 ポエトリーカフェ参加の記 第4期の10(西條八十)

 Pippoさん主催のポエカフェも3月30日に第4期ファイナルとなった。特別篇等を含め、なんと57回!第1回が2009年の10月31日に参加者5名でスタートしたポエカフェも、はや4年半経ったことになる。そして、その第1回に参加されたKさんが、今回もおられる。新しい方も毎回のようにおられる中、数多く参加されている方もおられる。今回は誰が来ておられるかなどと見回したり、近くに坐った方と話しているうちに、気がつくと会が始まっている。伯剌西爾で用意してくださった特製フード、美味しくいただきながら進んでいく。会自体のスタイルはいつも通り。Pippoさんによる詩人の生涯の紹介とともに、参加者が「朗読くじ」で当たった詩を朗読し、ひとこと。初めて朗読する方もおられるのだが、自然ととけ込んでいかれるのは、ポエカフェ最大の特長かもしれない。

 今回は、つれあいのアンジーもいっしょに参加。髙田馬場で待ち合わせ、会場の神田・伯剌西爾(ぶらじる)へと向かう。忙しい時期のアンジーだが、なんとか参加できた。それも、今回取り上げられる詩人が西條八十ということからだった。詩人というだけでなく、童謡を数多く作詞している西條八十にかなり興味を持っている。

 それにしても、西條八十をとりあげると告知されたとき、少なからず驚いた。私にとって西條八十という名前は、童謡の作詞家であり、流行歌の作詞家であった。確認のつもりで検索すると、数多くの流行歌があがってくる。還暦をすぎた私のような世代の者にとって、西條八十は、この面がもっとも多く、知られているのではないだろうか。若い頃の懐メロ番組からも、リアルタイムの歌謡番組からも西條八十の名前は聞こえていた。蘇州夜曲、支那の夜、東京行進曲、東京音頭、青い山脈(ここいらは懐メロ)から、この世の花、りんどう峠、王将などに至るまでその幅の広さにあらためて驚く。

 配布された資料には、童謡や訳詩も少し含まれているが、大半は詩集として刊行されたものからのもの。第1詩集『砂金』は18版を数えたというから、すごい!童謡詩人としての人気が出る中、流行歌の作詞も手がけていくのだが、資料によれば、1947年刊行の『一握の玻璃』が、生前の詩集としては最後になっている。だからといって詩人であることを止めたわけではなかった。没後、娘さんの西條嫩子(ふたばこ)さんによる『石卵』が出されている。資料にもそこから2篇とられていたが、この詩集、あらかじめ図書館で借りることができ、読んだが、圧倒された。資料にあげられた「掌」や「犬を呉れる」をはじめ、一篇一篇がじっくりと入り込んでくる感じだ。この1冊と出逢えただけでも、大収穫。

 また、嫩子さんによって編まれた角川文庫版の『西條八十詩集』も読むことができた。これらの詩集を読み、またポエカフェでの皆さんの声を聞きながら思うことは、西條八十という詩人は、こどもの哀しさを持ち続けてた人なのだろうかということ。それは後ろ向きの者ではなく、それを核にしながら、前を向いて生き抜こうとした人のように思える。

 また、童謡の「かなりや」について、最近はいじめとの関連で評価が分かれるという。しかし、ポエカフェであらためて確認できたのは、これは八十が自分自身のこととして書いたものだと言うことだった。八十自身が「唄を忘れたかなりや」であり、童謡を書くことで、あらためて詩の世界に戻ることとなったことを含めての思いが込められたものだったということ。参加者のお一人とアンジーが話し合っていたが、背景抜きで評価したり論じることのむなしさを思うと同時に、作品が伝えられていくことの難しさも感じる。

 いろいろな顔を持つ西條八十。その顔の一部を少しだけ垣間みた今回のポエカフェ。すでに10日が過ぎているが、まだまだ西條八十の余韻が残っている。実は、目の前には借りて来た水色の全集が何冊かある。何か、今までにない感覚が残っている。晩年に刊行された『アルチュール・ランボオ研究』も読んでみたい。そんな気ににまでさせる今回のポエカフェだった。

 

 

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