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2014年9月

「行乞の中から」 ポエトリーカフェ参加の記 第5期の4(種田山頭火)

9/21に開催されたPippoさん主催のポエカフェで取り上げられたのは、種田山頭火。前回の尾崎放哉と並ぶ自由律俳句の代表選手だ。会場に入る前、時間が少しあったので近くの書店に入ったら、山頭火の句集や関連本が面陳で棚に並んでいる。棚には、いくつか句も張られていた。今も、このようにプッシュされる山頭火。図書館で検索しても、放哉にくらべ、はるかに多くの資料がヒットする。埋もれていないようだ。

 会場は「神田・伯剌西爾(ぶらじる)」。恒例となったポエカフェ特製フード、今回も店長さんが山頭火の故郷、防府から「ういろうロールケーキ」を取り寄せてくださった。注文を取ると参加者全員が手を上げる。私も珈琲とともに美味しくいただき、ポエカフェの楽しみの一つを堪能する。

 例によって、自己紹介からスタート。お題は「山頭火とわたし」。わたしの頭に浮かぶのは、20歳ののころに読んだ少年誌掲載の劇画。参加前に気になって調べたら、作者は旭丘光志。少年マガジンに4回の短期連載の作品だった。あの頃、山頭火がけっこう取り上げられていたような記憶がある。その流れで、劇画にもなったのだろうか。行乞の姿が描かれていたのが印象に残っている。とは言っても、それ以降、放哉に比べ山頭火はあまり読んで来なかったので、これを機会に、しっかり読んで見ようと思いつつの参加であった。

 あらためて思うのは、お題があることで、初めての方だけでなく、自己紹介の時間も楽しい時間となっていること。顔なじみの方の新しい面を知ることができたり、課題詩人がどのように受けとめられているかも、それとなく浮かび上がってくるからだ。自己紹介の間に、参加者同士のやりとりが生まれることもあり、それも会を和やかなものにしてくれる。

 年譜とともに配布された資料には200に及ぶ句が並んでいる。朗読くじにも10句ほどが並んでいる。その中から2句選んでの朗読。選ぶのがなかなか難しい。わたしが当たったのは昭和6年の作。まず選んだのが「いつまでも旅することの爪を切る」さらに「詫手紙かいてさうして風呂へゆく」。前者は、すぐに決まった。「ことの」に心がとまる。後者では「詫手紙」と「風呂」の結びつきから広がる山頭火の日常に思いをはせた。

 くじで当たった中から選んでいくというのは、けっこうドキドキするものだ。選ぶことで、よりしっかりと作品と向き合えるのだが、それは自分と向き合うことにもなるからだろう。でも、このドキドキがまた楽しい。そこで世界が広がっていく。参加者の一人一人が選んだ句を、そのときの感想を思い出しながら後から見返すのも、ポエカフェ後の楽しみ。

 それにしても、自由律俳句の代表選手としての山頭火と放哉。どうしても比べながらよんでしまう。留まる放哉に対し、行乞を続けた山頭火。ときに庵を結んでも、長く留まることのできない山頭火。行乞しなければ生きられないかのように歩き続けた山頭火。僧形をとりながら、既成の修行コースを踏むことなく、自らの道を歩み続けた山頭火。それでいて、行き先々で層雲のメンバーを訪れる時に見せる、その時間を楽しむ姿。酒で問題を起こす山頭火。訪問先への便りを送るに筆まめな山頭火。そのような日々の中から生み出されて行く、数々の句。その一つ一つから、山頭火の心のありようを読む者は垣間みる。

 放哉、山頭火、ともに弧の世界に行きた人といえるだろう。しかし、今回あらためて感じているのは、二人の世界の近いようで異なること。放哉に比べ、山頭火がとても饒舌に感じるのだ。決してことばが多いのではないし、うるさいのでもない。しかし、山頭火の句を読んでいくとき、なぜかそう感じる。弧の世界から外に向かって歌っているようだというと、少し違うかもしれないが…。この感覚、今もうまく言い表せない。山頭火が多くの人に愛され続けることとも、もしかしたら関係があるのかとも考えてしまう。自由律の世界にあふれる魅力。どうもうまくまとまらないのだが、しばし、山頭火と放哉、読み比べながらの付き合いになりそうだ。

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「作り続ける中で」 ポエトリーカフェ参加の記 第5期の3(尾崎放哉)

 今から18年前のこと、お世話になっている恩師から、一人の俳人を紹介された。それが荻原井泉水。日本語における表現についての話の中ではなかったかと思う。荻原井泉水の小さな本を貸していただいた。残念ながら、その書名は失念したが、そこから自由律俳句、そして尾崎放哉を知ることとなった。放哉の晩年の作品に大きな衝撃を受けた。日本語でのこのような限界ともいえる表現があるのかと。

 去る24日に開催されたPippoさん主催のポエカフェで取り上げられたのが尾崎放哉。連れ合いのアンジーと一緒に、会場の神田ぶらじるに向かった。夕方まで、スケジュールがきつかったので、かなり疲れてはいたのだが、放哉の回とあって、ワクワクしながら向かう。ちなみにアンジーは初放哉。

 今回も新しい方が何人かおられる。まずは恒例の自己紹介からはじまる。何回も参加しておられる方の自己紹介も、近況報告的なことも含め、これがけっこう楽しい。そして、Pippoさんからの自己紹介のお題が、「放哉と私」。放哉のことを知らない方の方が多い。また、教科書で知っているという人が何人かおられたが、これにはちょっとびっくり。私の頃は、掲載されていなかったと思うのだが、世代の違いか。

 Pippoさんからは、放哉の年譜と、作品の資料が配られる。記載された俳句の数が、とても多い。その数、なんと二百!そのせいもあって、朗読くじには、一枚当たり6~10句が記載されている。その中から2句えらんで朗読するのだが、選ぶのが大変、でも楽しい。

 選ばれた句は、鳥取県立第一中学時代から、死を迎える小豆島の南郷庵でのものまで、とても幅が広い。わたしがあたったのは、最初期の中学時代の句。「きれ凧の糸かかりけり梅の枝」「よき人の机によりて昼ねかな」を選んで朗読する。句のできは別として、放哉の目の付け所や、思いの向き方が、その後の放哉につながるような気がして選んだ。

 その朗読の中での参加者の方々の発言が、今回もとても興味深かった。書記の句について、こそっと「あまりよいとは思えない」というような声もあるかと思えば、作詞家松本隆の名前が出たりする。皆さんの声で印象に残ったものをメモしているのだが、「運命」「視点の転換」「スピード感」「モノトーン」といったものが、手許に残っている。 

 俳句の他にも「俺の記」や「入庵雑記」の一部も紹介された。今回あらためて、これら俳句以外の放哉の文章にも興味を惹かれた。紹介された句の多さもあいまって、予定時間を少しオーバー。放哉の句を中心に、充実した時間があっという間に過ぎ去った。

 今回、気になったことの一つに荻原井泉水との関係がある。小豆島に渡った放哉は、多数の句を友でありながら師匠として仰ぐ井泉水に送り続けていたという。送られた井泉水は、その句稿から主催していた句誌「層雲」に掲載するものを選んでいたという。時には添削して掲載する場合も少なくなかったようだ。俳句の世界では、それでも放哉のオリジナルとして扱われるという。放哉も、井泉水の添削にまったく信頼していたようだ。

 作り続ける中で、表現は研ぎすまされていった。放哉の句としておそらく最も有名な「咳をしても一人」に代表される、あまりにも短い句。しかし、そこには抜き差しならない言葉の密度を感じる。この句を読むとき「も」一文字に凝縮された放哉の生き様の重さを思ってしまう。

 小豆島の南郷庵での生活の中から生み出され、井泉水に送り続けられた放哉の俳句。放哉にとって、ほんとうに大事なものは何だったのだろう。女性との関係や、酒のこと、まるごとの放哉の生涯を考えさせられる。そして、放哉に取って生きるとは何だったのだろうと。簡単に答えの出る問いでは、もちろんないだろう。全集には書簡もおさめられている。俳句だけでなく、それらも含め、じっくりと読み直してみたい。

 最後に、紹介された句からどうしてか心に残る句を一つ。

 「春の山うしろから烟が出だした」

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