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2014年11月

「日常性の底に」 ポエトリーカフェ参加の記 第5期の5(高田敏子)

 すでに11月に入っていますが、先月26日に開催されたポエカフェ高田敏子篇の参加記です。Pippoさん主催のポエトリーカフェ(ポエカフェ)も今回で5周年を迎えました。2009年の11月に神田の喫茶去を会場に第1回が開催されてから、はや5周年。いや~ほんとうにすごいです。第一期のころは会場探しも一苦労だったとのことですが、着実にその歩みを積み重ね、5周年を迎えられたこと、心からおめでとうを言わせてください。

 会場は今回も「神田ぶらじる」さん。いつも美味しい特製フードを用意してくださいますが、今回は高田敏子の出身地にちなんで日本橋屋長兵衛の和菓子でした。見た目にも美しく、上品な甘さをゆっくりと味わわせていただきました。

 さて、今回のポエカフェですが自由律俳句の放哉、山頭火と続いた前回までに比べると、ぐっと趣の違う高田敏子篇。初期の作品を別として、平易なことばで、日常生活に題材をとった詩を描き続けた高田敏子さん。きっかけは、後に『月曜日の詩集』としてまとめられることになる、朝日新聞家庭欄での毎週月曜日の連載。それまで、日常生活を題材にしようとは思いもしなかったと、後に本人が語っているが、これが多くの人々に受け入れられる。その結果「だいどころ詩人」「お母さん詩人」とも呼ばれることになったという。さらには、自ら詩を書き続けるだけでなく、愛読者のために同人誌『野火』を創刊し、生涯続けることとなる。

 配布された資料のうち年譜は一枚半にわたる。それを見ると、朝日新聞での連載開始が46歳の時。詩作を始めたのも、女学校時代を別にすれば、戦後の34歳のころという。それまでの生涯は、戦前生まれの女性としては、ある意味普通とも言えるもの。気乗りしない結婚と夫にしたがっての転勤。さらには戦争中も台湾に赴任した夫に従い台湾の高雄へ向かう。終戦はこの地で迎える。

 詩作に至るまでの生涯から髙田敏子が何を得たのかがとても気になる。さらには、詩作を始めた初期はモダニズムの流れの中にいたともある。しかし、それに疲れそこから離れたともある、そんな中で出会ったのが、朝日新聞での連載であったと。

 今回も、参加者でくじをひき当たった詩を朗読していく。そこでの皆さんの発言が、今回もとても興味深い。皆さんの発言を聞きながら思ったのは、高田敏子の詩は、読み手によって様々な捉え方がされるものだということ。あるいみ当然のことではあるが、今回はさらにそれを強く感じた。高田敏子の前向きな生き方を感じる方。「正しさ」ということばで表わした方。「『愛しさ』とかいて『かなしさ』」と表現した方、そして喪失感や寂しさを語る方。

 日常生活を題材に平易なことばでつづる高田敏子。その平易さには、さまざまな受け取り方を可能にさせる多層性があるように、今になって思っている。その多層性には、作者の人生が裏打ちされているのかもしれない。後に、戦争に伴う厳しい経験を経て来たと、語っている高田敏子。

 実は、予習のつもりで『高田敏子詩集』(日本現代詩文庫)を読み進めていたとき、なぜか分からないが、かなしさに包まれ、読み進められなくなったことがあった。厳しい経験の中から、ありふれた日常に見えることごとの中に、かけがえのないものや、その日常の不安定さを見る眼差しがあるからだろうかと感じている。

 朗読くじであたった晩年の詩『夕焼け』。そこにはストレートとも言える平和への願いがつづられている。このような詩に、高田敏子の詩の底にあるものが、顔を見せているような気がした。引用しておこう。「夕焼けは/ばら色/世界が平和ならどこの国から見ても/夕焼けは/ばら色//夕焼けが/火の色に/血の色に/見えることなど/ありませんように」。

 また、もう一篇朗読したのが『ペンギン』。実は、この詩もあらかじめ読んでいた。『月曜日の詩集』におさめられた詩だが、とても気に入ってた詩。「ペンギンは/空を見ていた/クチバシをかしげて/のびあがって 空を見ていた/子どもは/ペンギンと同じように空を見た/空には/飛行機もアドバルーンもなかった/ペンギンはやっぱり/空を見ている/飛べないつばさをふりながら/とてもとても遠い彼方を」。最後の2行のペンギンの姿に心ひかれる。

 

 

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