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2015年3月

「生き当たる」 ポエトリーカフェ参加の記 第5期の8(リルケ篇)

 3月22日に開催されたポエカフェ、課題詩人はライナー・マリア・リルケ。2月に続いてのドイツ詩人篇です。『マルテの手記』の著者としてご存知の方も多いでしょうか。予約も早々と定員をオーバーし、本編の翌週にはプチ・リルケ篇も開催されました。参加人数は、合計で23名になったとのこと。リルケの人気に、少々驚きました。

 会場は、おなじみの神田伯剌西爾さん。これまた恒例の詩人にちなんだポエカフェフードは、ザッハトルテ。今回も、美味しくいただきました。いつも用意してくださる伯剌西爾さんに感謝です。顔なじみの方、初めての方、それぞれに自己紹介をしながら、会は始まっていきます。今回のお題は、影響を受けたアーティスト、ないしはリルケと私。若い方から、思い掛けない名前が出たり、この時間もなかなか楽しみです。

 『初期詩集』から始まり、遺稿の中の『俳諧』までびっしりとプリントされたテキストを参照しながら、年譜にそってPippoさんの解説が始まります。(年譜については、古書ますく堂さんが、ブログで詳しくおもしろく紹介してくださっていますので、ぜひ、ご覧ください。)

 自己紹介の間にまわされた「朗読くじ」であたった詩を各自が朗読し、感想や疑問を発言していくのもいつものスタイルです。何があたるか、ちょっとどきどきしながらくじをひきます。予習していて、自分が好きな詩があたるのも良いのですが、どう読んだらいいのか悩むものが当たる時もあります。そんな時は、自分の番が回ってくるまで、頭の片隅で、読み方を考えています。でも、Pippoさんの解説も、皆さんの声もしっかり聞いていることは、申し添えておきます。というか、それが読み方の参考になることもあるのです。

 今回、あたったのは後期の詩から「ファネット・クラヴェル夫人に」でした。短い詩ですが2行目の「言葉の根に生き当たる。」の「生き当たる」に目が止まります。リルケにしては、とてもストレートな詩と感じます。リルケの行き着いた世界を垣間見せてくれるように受け取りました。それにしても、リルケの作品を読んでいると、いつか哲学書を読んでいるように感じてしまいます。そんなこともあって、以下はちょっとめんどくさい感想となりそうです。

 詩人としてのリルケにとって、「ことば」のもつ意味が重いことは当然でしょう。今回、資料の最初に挙げられた『初期詩集』からの詩も、言葉に関するものでした。リルケがとても深い交流をもったロダンが彫刻という制作物で、ひとつの世界を表現しようとしたように、リルケは彼の求める真の世界を彼の詩をもって表現しようとしていたように感じています。

 カソリックの世界に幼年期をすごし、その後、その世界に訣別したリルケ。『ドゥイノの悲歌』に出てくる「天使」も、キリスト教の天使ではないと語ったリルケ。宗教的背景を、自ら否定する中、それにかわる真実の世界を求めたのでしょうか。『時祷詩集』では、ゆれる思いが垣間見得るようでした。とはいえ、方向性はすでに見えているように思いました。

 配布されたテキスト資料にとられた詩も、リルケのひとつのものを求める歩みを跡付けるように思えました。最後には日本の俳句に興味をもっていたというリルケ。リルケの世界には、東洋的、いや日本的なものに通じるように感じられるところがあるかもしれません。

 しかし、予習を含め、リルケを読んでいて感じたのは、とても強烈な意志の存在でした。そのめざした世界が、個をこえる世界であったとしてもです。カソリック的文化の中で育ったリルケ。否定したとしても、絶対者の存在を知った者としての、思考があるように感じます。読んでいる中で、時にニーチェを思い起こすことがありました。

 そして、そんなリルケと向き合うには、こちらにもパワーが求められているようにも、わたしには思えるのです。今、マルテの手記を読みたいのですが、ちょっと態勢を整え直してからになりそうです。

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「モラリストの声を聞く」 ポエトリーカフェ参加の記 第5期の7(ケストナー篇)

 すでに、3月のポエカフェ・リルケ篇の募集も始まり、かなり早いペースで申し込みがあるようです。遅くなりましたが、2月のポエカフェの参加記を記しておきます。

 Pippoさん主催のポエカフェ、12月、1月と2回参加できず、どこかに忘れ物をしているような、3ヶ月を過ごしていました。参加できなかった回も、自分なりに、課題詩人の詩は読み進めてはいるのですが、やはり会場での皆さんの様々な声を聞く中で広がっていく世界が、とても大きな意味をもっていること、あらためて感じていました。しばらくぶりの参加となった、2月22日に開催されたポエカフェ。連れ合いのアンジーと一緒に、わくわくしながら会場の神田ぶらじるさんへと向かいました。

 今回の課題詩人は、ケストナー。日本ではおそらく『飛ぶ教室』や『エミールと探偵たち』などの児童向けの作品が知られている作家でしょう。ところが昨年11月には今回の課題本となった『人生処方詩集』が岩波文庫で出されたり、大人向けの諷刺小節『ファビアン』の新訳がみすず書房から刊行されたり、ケストナーに何かが起きてる?と思わせるこの頃。今の日本で読まれるべきと判断した人々がいるということでしょうか。

 さて、いつもは日本の近代詩人を取り上げて来たポエカフェ、今回はドイツのケストナー。そのせいもあってか?なくてか?新しい方が多くおられました。やっと日程の都合がついて参加できた方もおられました。その一方、第1回に参加されていたMさんも参加。広がりと積み重ねをあらためて感じます。

 まずは、自己紹介の時間ですが、その間に、ぶらじるさんが用意してくださるポエカフェフードを注文。今回の特製フードはシュトーレン。ドイツのお菓子です。12月にも供されたのでしたが、参加できなかった私にとっては、うれしいプレゼントでした。もちろん美味。ポエカフェフードはポエカフェの一部です!

 ケストナーの年譜とともに17篇の詩が紹介され、いつものように朗読くじで当たった詩を皆で朗読して行きます。短い詩が少なく、中には二人で分けて読む例も。初めての方の朗読も新鮮で、やはりポエカフェの大きな楽しみと感じます。わたしが当たったのは『あるシャンソン歌手の広告』。くじを見たとたん、うわっ!と思いました。予習で読んでいる中で、気になっていた詩の一つですが、これを朗読するとしたら、難しいなと感じていた一篇です。一連目は以下のようになっています。(小松太郎訳)「彼女は非常な美人というのではありません しかしそれはたいしたことではありません/美人でなくとも 心配はご無用/彼女は女 そして仕事は100パーセント/それにあの方もとてもすてきです」ここだけでも、どんな声で読んだらいいのか悩みます。特に最後の行!

 全部で5連からなるこの詩の最後は「彼女はわれわれと同じくらい正確に/われわれの痛いところを知っています/そして彼女はそんな唄をかなりたくさん知っています/そのうち二つ三つを彼女は当店で唄います」となっています。

 だれでも感じているような人生の機微。とくに「痛いところ」を知り、それを否定しないケストナー。特別な位置に立とうとするのでなく、その中でどう生きるかを自らをも含めて問い続けるケストナーの声を聴くような気がしました。

 自己紹介のの時、何人かの方が触れていた『ファビアン』。実は、課題詩集を読みながら、『ファビアン』も気になり、直前に読了していたのです。非常に、興味深い作品で、詩集といっしょに読んで良かったと思っていたところでした。ケストナーの詩の背後にある世界が小節の形で展開されているように思います。

 『ファビアン』には「あるモラリストの物語」という副題がついています。モラリストは、道徳的に立派な人間ではなく、生き方を真摯に求める人のことと理解しています。現実の大金痛みの前に絶望しそうになりながらも、日々を生きていかざるをえない一人一人に向けられた、仲間としての声なのかなと、ケストナーの作品を読んでいます。

 児童ものと、この世界のつながりもきにかかるところです。子どもの頃、ケストナーのものは読んで来なかった者ですが、あらためて読んで見たいと思っています。

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