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2016年3月

「入門篇だからこそ」  ポエトリーカフェ参加の記 第6期の4 (入門篇 《テーマ:犬と猫》)

 2月21日に行われたPippoさん主催のポエカフェ、毎月の定例会としては珍しい入門篇でした。入門篇は特定の詩人を取り上げるのではなく、テーマを決めて、それに沿った詩が集められるのが恒例です。今回のテーマはなんと、《犬と猫》!なのです。

 世に猫好き、犬好きが多くいらっしゃるのは皆様ご存知の通りですが、このテーマで詩を集めるとどんなものがあるのか、はたまた誰が犬や猫を題材にした詩を書いているのか、始まる前から興味津々です。そんなこともあってか、ポエカフェ前日までに、テーマに沿った詩を詩人別に調べて、ブログに発表する方までおられるという盛り上がりを見せての開催となりました。

 入門篇ということもあり、新しい方もあられる中、何時ものごとく配られた資料には、さりげなく?約40人もの詩人の詩が集められ、枚数も7枚!詩人の年譜がないとはいえ、すごい資料です。集められた詩は木下杢太郎の『金粉酒』に始まって、最後にはPippoさんの自作詩も掲載されています。近代詩に限らず、いまも活躍している詩人の作品、現代短歌もあります。その幅の広さに驚かされます。詩人の年譜作成も大変と思いますが、これだけの詩を集める労力を考えると、いやはや頭が下がります。いずれの詩も、何らかのかたちでPippoさんの心に語りかけたものでしょう。どんな詩が選ばれているかを見るだけでも時間は過ぎて行ってしまいそうです。(いつもポカフェのブログを書かれている古書ますく堂さんのブログにその一端が書かれていますので、ぜひご参照ください。)

 まず自己紹介から始まるポエカフェスタイルはいつもの通りですが、今回は犬と猫がテーマとあって、自己紹介もいつにもまして?広がりました。犬派と猫派、どっちが多かったのかは分かりませんが、参加者の皆さんが語るエピソードが面白いこと。これからの盛り上がりを予感させるものとなっていました。

 自己紹介の後、時間の許す限りの朗読大会となりました。テーマが《犬・猫》だけに、三毛猫の毛の色の違いでの性格の違いとか、なぜ犬に吠えられるのかなど、犬や猫に関する薀蓄も披露し合う中、いつもとはちょっと違う盛り上がりです。

 集められた詩の中で、驚いたのは立原道造からも取られていたこと。全集にあった前期草稿から見つけた方がおられたのです。立原道造には犬や猫のイメージがなかったので、「えっ!」という感じです。見つけた方の報告によれば、犬の詩は6、猫はたった1篇とのこと。見つけられた道造は、苦笑いかもです?

 木下杢太郎や萩原朔太郎、室生犀星、前回のポエカフェで取り上げられた八木重吉、尾崎放哉がいれば種田山頭火もいます。ここではとても書ききれませんが、ポエカフェに参加する中で知る事になった詩人は懐かしく、好きな詩が取り上げられていると、やはり嬉しいのですが、それ以上に楽しいのは、今回初めて知る詩人の作品です。

 これまでのテーマ別の回でも、印象深い詩人に出会ってきましたが、今回はわたしにとっては大収穫の回となりました。出会った詩人は、朗読くじで当たった、「ヴィスワズン・シンボルスカ」です。ポーランドの詩人で、1996年度のノーベル文学賞を受賞しています。

わたしが当たったのは『終わりと始まり』という詩集に収録されている「空っぽなアパートの猫』という詩です。「死んでしまうなんて 猫に対してすることじゃない」と始まるこの詩、空っぽのアパートに残された猫がしそうな行動を描写していきます。その猫の描写を通して、主人にいない部屋の空間が浮き上がってきます。

 詩の最後の一行は「始めのうちは跳ぼうとも鳴こうともしないで」と結ばれます。帰ってくるはずのない主人が帰ってきた時のことを想っての猫の行動です。この最後の1行も含め、埋めることのできない空白に満たされた部屋が、残された者の思いが浮かび上がってくるように感じました。

 ポエカフェ後に読んだ詩集の解説によれば、『夫の死を悼んだ詩』ということです。それを知れば尚更ですが、それを知らなくとも、とても迫ってくるもののある詩です。難しい表現や言葉はありません。でも、そこに描かれた世界の奥深さに惹かれました。

ポエカフェ後、図書館にあった『終わりと始まり』そして『橋の上の人たち』を借りて読んでいます。いまは、『終わりと始まり』は2周し、『橋の上の人たち』を読み進めています。厳しい政治状況の中で生き抜いたシンボルスカです。平易な言葉で書かれながら、多様な理解を可能とする重層的な世界があるようです。出会えてよかった。

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