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2016年12月

「美しき空っぽに魅せられて」 ポエトリーカフェ参加の記 第7期の2 (吉井勇篇)

 今年最後のポエカフェは久しぶりの吉井勇でした。Pippoさんの大好きな『パンの會』の中心メンバーの一人です。パリのサロンのようなものを日本でもと始められた『パンの會』。その代表人物の一人とも言える吉井勇。歌集を30冊も残し、1960年まで生のある限り作歌を続けた吉井勇です。『パンの會』に関わる詩人・歌人としては北原白秋や木下杢太郎が既に何回か取り上げられていますが、吉井勇は2回目です。

 体調を崩した方の急なキャンセルもあり、いつもより少し少ない人数でしたが、ポエカフェの雰囲気はいつもと変わらず、参加者を包んでいきます。伯剌西爾さんの用意してくださったお菓子も美味しく、参加者の方々の朗読や感想を聞いているうちに、時間は今回もアッと言う間に過ぎ去って行きました。

 15歳から最晩年までの作品群からPippoさんが厳選した135首が資料に並んでいます。朗読くじには、5~10首くらいが並んでいます。そのなかから選んで朗読です。ちょっと自分の感性が試される?気分もあります。

 ここまで書いてきて、吉井勇の素晴らしさ、心に残ることをどう表していいかわからない自分に気がつきました。決して作品がつまらなかったり、得ることがなかったりというのではありません。、むしろその正反対なのです。今回のポエカフェが終わって、数年前からの『短歌研究』に細川光洋氏の『吉井勇の旅鞄』という連載があったことを知り、クリスマスで忙しい時期でしたが、隣市の図書館で掲載誌を漁るという行動に駆り立てられています。(今年の11月号にも特集があります)

 前回取り上げられた時も、気になる人物ではありましたが、今回ほどではありませんでした。吉井勇の句を評する言葉として、「美しきからっぽ」という言葉が紹介されました。たしかに私が朗読くじで当たった『酒ほがい』所収の歌など、その代表格かもしれません。「わが胸の鼓の響きたうたらりたうたうたらり酔えば楽しき」という歌が紹介されていました。たうたらりの繰り返しが残ります。「いくたりの男のために取られたる手かは知らねど我も取りたる」勇がとった手の相手はどのような女性でしょうか。母音の「お」と「う」が想像と思いの世界を作っているように感じます。しかし、歌われている世界について、「それがどうした」と言われれば、答えに窮するのではないでしょうか。

 吉井勇の素晴らしさのひとつとして思い当たるのは、日本語としての音の、特に母音の扱いのような気がしています。予習を兼ねて全歌集を読んでいたのですが、途中からふと、字を追っていくのではなく、音読、ないし心の中で音を響かせながら読むようにしてみました。そうしてみると、不思議と歌が入ってくるように感じるのです。短歌の定型を崩すような歌はありません。突拍子もない表現もありません。しかし、音を、しかも句の切れ目を意識しつつ、少し伸ばすように読んでいくと心地よいのです。(昔聞いた百人一首の読み方を思い出しながらです。朗読の時、そのような読み方でとも思いチャレンジしましたが、うまくいきませんでした。)吉井勇の句を評する言葉として、「美しきからっぽ」という言葉が紹介されました。その「美しさ」の一端を垣間見たように思うのです。若い頃の酒に溺れ、花街に遊んだ頃の句も、流浪の旅の中で読んだ句も、その点では変わりないように感じます。

 「京に老ゆ」で始まる連作もそうですが、紹介されていた中でもすごいのが『天彦』に収録されている「寂しければ」に始まる連作です。実に72首もあるのです。全歌集でこれを目にした時、圧倒されました。今回の資料には8首が載せられていましたが、同じ言葉で始まりながら、これだけの数を詠める勇の世界の広がりが伝わってきます。それでも日本語としての音の美しさの中に収められています。おそらく吉井勇の日本語における音に魅せられたとも言えるかもしれませんが、もちろん、音だけでもないのです。

 戦後も活躍し続け、宮中の歌会の選者にまでなっている吉井勇。高らかに思想を込めることなく、美しき空っぽの世界を表に出しながら、気がつくと奥深い世界に取り込まれているように感じています。日本語の表現者として、まだまだ、追っかけ続けたくなる歌人と思っています。

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「鳥に導かれて」 ポエトリーカフェ参加の記 第7期の1 (鳥の詩篇)

 11月26日、Pippoさん主催のポエカフェ、鳥の詩篇@我孫子に参加してきました。前回の参加が7月でしたから4ヶ月ぶりです。ポエカフェ禁断症状がかなり強くなってきていましたので、ひときわわくわくしながらの参加となりました。そのためもあって(?)、10時からの開催なのに、9時過ぎには我孫子駅に着いてしまいました。会場のブックカフェNorthlake cafe& Booksさんに行くには早すぎるので、途中の手賀沼公園に立ち寄りました。午前の日差しを浴びながら、水鳥たちが遊覧船乗り場のそばで泳ぎ、飛び回っています。今回のポエカフェは鳥の詩がテーマ。この風景にほっこりすると同時に、期待はたかまります。

 少し歩いて会場に到着。Northlake cafe& Books、いい佇まいです。お店の外と入って左側には魅力的な本が並んでいます。既にPippoさんはじめ参加者も数名おられます。カウンターを背に、テーブルを挟んでちょっと左右に長くなりながら、着席。いつものように自己紹介から開始です。

今回は、一人の詩人を取り上げるのではなく、Pippoさんが幅広く選んだ「鳥の詩」が題材です。資料にはホイットマンから始まり、現代短歌までが収録されています。いつもながら、このようなテーマ別ポエカフェでのPippoさんの収集力には感嘆します。

 詩人の生涯に関する紹介がない分、取り上げられた詩を、参加者が次々に朗読し、一言感想を話しながら会は進みます。朗読くじで当たった詩を読むのもいつも通りですが、なぜかいつもよりドキドキします。私が引いたのは金子光晴の「かつこう」でした。くじを開けた瞬間、「ワッ!!」と思います。好きな詩が当たったのは喜ばしいのですが、かえってどう朗読できるかドキドキです。まあ、大した朗読はできませんが…。3連目「霧につゞいている路で、/僕は、あゆみを止めてきく。/さびしいかつこうの声を。/みじんからできた水の幕をへだてた/永遠のはてからきこえる/単調なそのくり返しを。」で、かつこうの声と共に時空を超えた世界へと誘われます。「みじんからできた水の幕」が今とのつながりの中で心に残ります。最後の2行は「かつこうがなゐている。/かつこうがなゐている。」と繰り返されます。今に引き戻されるかのようです。

 朗読くじ、交換しても良いのですが、向かい合わせに座ったお二人が、お互いの好きな詩を引くという驚くべき(?)出来事も起きました。お二人、嬉しそうに交換して朗読なさっていました。こんな自由さも、ポエカフェの良いところです。

 一人の詩人を取り上げる回と違い、テーマ別の会の楽しみは、いろいろな詩人に出会えることです。わたしにとっての嬉しい出会いは高良留実子の「木」でした。最近、現代詩文庫から「続・高良留美子詩集」が刊行され、ちょうど読み始めたところでした。心ひかれる詩人との印象を持ち始めていたところでしたので、不思議な感覚です。

 プレヴェールの「鳥さしのうた」、ブローディガンの「スワンの日々に」、大江満雄の「一つの世界を」、新美南吉の「墓碑銘」等が、今の私に響いてきます。ペンギンを名乗るものとして嬉しかったのは、高田敏子の「ペンギン」が入っていたこと。「飛べないつばさをふりながら/とてもとても遠い彼方を」見ているペンギンの姿が浮かびます。

 楽しい時間は、あっという間に過ぎます。それでも今回はポエカフェ本編だけでは終わらない楽しい時間が控えています。Northlake cafe& Booksが提供してくださった「豆と挽肉のカレー」のランチが、とても美味しく、近かったら、これを食べるためにも通ってしまいそうです。セットのコーヒーも美味しくいただきました。

 更に、楽しい時間は続きます。ここで個展を開いておられる海津さんの案内での手賀沼散歩です。あらかじめ準備してくださったコースは、興味深い場所の連続でした。文学に関わりのある場所を中心に、手賀沼周囲の崖(はけ)をのぼったりおりたりしながら、自分がどこにいるのかは分からなくなっていますが、出会う場所に惹かれて、そんな事どうでもよくなります。ここまで準備してくださった海津さんに、心から感謝です。

 最後は、手賀沼のほとりにでました。少し日が傾いてきた手賀沼の風景もまた良しです。海津さんから、鳥の種類を教えてもらいながら、歩きます。時には、人懐っこく寄ってくる鳥までいます。Pippoさん、その子に話しかけてたような….

 そうそう、途中で立ち寄ったお煎餅屋さんのお煎餅、お土産に買いましたが、上品な良いお煎餅でした。不思議な集団がいきなり立ち寄ったので、お店のおばあちゃん、驚かれたことでしょう。

 いつもより長くなりました。あの日から1週間以上たち、既に次回12月の告知も出ていますが、今もあの時間が暖かく思い出されます。

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