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2017年4月

「いちめんのなのはな」 ポエトリーカフェ参加の記 第7期の7 (山村暮鳥篇)

 4月15日に行われたポエカフェは、春の出張篇です。場所は向島の甘夏書店さん。一軒家カフェikkAさんの2階です。階段を上がって2階に行くと、畳敷きの甘夏書店さんの部屋があります。その隣の和室が今回の会場です。畳敷きの部屋に和みます。Pippoさんに近い方は座布団に、遠い方は用意された椅子に座ります。私の座った脇には明かり取りの障子がありました。向島の古い家屋です。

今回の詩人は山村暮鳥です。ポエカフェでは3回目の登場になります。1回目は第1期の第8回、私は、2回目には参加できなかったので、ほぼ7年ぶりになります。断片的に知っているにすぎなかった山村暮鳥でしたが、第1回に参加した時、『聖三稜玻璃に強い魅力を感じ、それ以来、好きな詩人のかなり上位に来ています。予習を兼ねて改めて読み直してみても、魅力は衰えるどころか増してきています。参加される皆さんが、どのような感想を持たれるのか、関心が高まる中、連れ合いのアンジーと一緒の参加でした。

 新しい方が何人もおられる中、何時ものように自己紹介から開始です。暮鳥との距離はそれぞれ違いますが、それだからこそ、皆さんの感想が楽しみになるのです。ikkAさんが用意してくださった桜香るほうじ茶をも美味しく、更に追加注文のイチジクのドリンクも美味しくいただきながら、会は進んでいきます。

 これも恒例の朗読くじが自己紹介の間にも回ってきます。できれば『聖三稜玻璃』から読みたいなと思っていたのですが、残念ながら違いました。隣にいたアンジーが交換してというので、交換しましたが、これも違います。その時、残ったくじから選んで良いというPippoさんの声がありました。さっそく手をだすと、なんと「風景 純銀もざいく」が残っているではありませんか。「いちめんのなのはな」が続く詩です。始まる前にMさんと、読むのが大変な詩にあげていたのですが、こうなったらやるっきゃないと思い切って交換しました。

 Pippoさんが暮鳥の生涯を紹介し始めます。やがて朗読も始まります。『聖三稜玻璃』からも何篇か取られています。最初は「囈語」です。これも大変な詩です。「窃盗金魚/強盗喇叭・恐喝胡弓/賭博ねこ/…」と続きます。各行の前半と後半の言葉のつながりに意味を見出すことは難しいでしょう。イメージだけが迫ります。次は「気稟」です。まだわかりやすいでしょうか。それでも、そこからのイメージは色々です。

 ついに私の朗読の番です。Pippoさんの解説や、皆さんの感想を聞きつつ、こっそりとどう読むかメモを作っていました。1連9行で3連の詩です。「いちめんのなのはな」が繰り返されていきます。そのなかで各連とも8行目に別の言葉が入ります。1連目は「かすかなるむぎぶえ」2連目は「ひばりのおしゃべり」3連目は「やめるはひるのつき」です。

 1連目は水平、2連目は下から上へ、3連目は空(上)への視線を意識しながら読みました。イメージの世界に入りながら朗読しましたが、効果はどれほっだったでしょうか。実は、大好きな詩なのですが、同時にわたしにとっては、大きな緊張感をもたらす詩なのです。1連目から3連目へと進む中、緊張感が増大してくるのです。ですので、3連目はスピードを上げ、たたみかけるように7行目まで読みました。押しつぶされそうな緊張感の中、空を見上げると「やめるはひるのつき」に吸い込まれていきます。

 まったく個人的な感想です。朗読後、様々な感想が出ました。暮鳥はどこにいるのでしょう、のんびりとした風景ととりたい等、話は広がります。それだけこの詩に力があるのでしょう。イメージはそれぞれに広がります。

 自分の好きな詩の話ばかりになってきました。戻りましょう。会はその後も暮鳥の生涯を追いながら作品の紹介が続いていきます。晩年の『雲』に収められた詩も心に残ります。暮鳥の作品の背後には、彼の信仰のあり方が透けて見えるような気がします。聖公会の伝道者として活動しながら詩を作り続けた暮鳥です。しかし、その信仰は一般的なキリスト教の枠組みからははみ出すようなものだったでしょう。東洋的なものとのつながりも感じます。

 『雲」の詩を読みながら、八木重吉のことを思い出していました。短い平易な言葉で綴られた詩。形として近いものがあるでしょう。信仰の姿勢はかなり違います。二人が出会い話あったらどんなことを話したのだろうと考えるのも楽しいことです。

 もう一つ気になるのは三野混沌との関係です。Pippoさんも紹介しておられた『暮鳥と混沌』を遅まきながら読み始めています。

 ikkAさん、甘夏書店さん、近ければ絶対通っているでしょう。良い空間をありがとうございました。また、暮鳥の生涯等に関しては今回も古書ますく堂さんがブログでうまくまとめてくださっています。是非、ご参照ください。

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「リアリティを求めて」 ポエトリーカフェ参加の記 第7期の6 (尾形亀之助篇)

 先月26日に開催されたポエカフェで取り上げられてのは尾形亀之助。仙台での1回を含めて4回目の登場です。私は今回が2回目ですが、前回の参加時のブログで、亀之助の詩を読んで感じたことについて「言語化すること自体を亀之助の詩が拒んでいるのかもしれない。かんたんに言語化して意味など与えないでくれと」書いている。それでも心にかかる詩人なのです。その後読み続けることはしていませんでした。自分の内の何かが反応している感じがありました。引き込まれそうな予感とともに、そうなったらまずいかもという感じがあったからかもしれません。しかし、夏葉社さんから「美しい街」が刊行されたこともあり、買って読み始めていました。期待と不安?の入り混じった中での参加でした。

 連れ合いのアンジーと一緒に会場の神田伯剌西爾さんに着くとPippoさんが資料の整理中です。アンジーと一緒に手伝います。第1期の頃から変わらないこのこの手作り感もポエカフェの良さです。長く続くと、それなりの固定感も出やすいと思うのですが、そうならないのがポエカフェの不思議な魅力でしょう。今回も数名の新しい方を含めて、ゆったりと自己紹介から開始です。

 今回も恒例の朗読くじがあります。短いのやら、散文詩の長いのやら入り混じっています。くじではありますが、希望によって交換可能なところもポエカフェならではかもしれません。長いのは避けられがちでした。私は、いきおいで引いたところ、なんと最後の詩集『障子のある家』の「後記」の中の「父と母へ」でした。同じ「後記」にある自分の子どもへの「泉ちゃんと猟坊へ」とともに大好きなものです。ちなみに「泉ちゃんと猟坊へ」は夏葉社さんの「美しい街」にも収められています。

 『障子のある家』はたった70部だけ刊行された亀之助最後の詩集です。その自序には「何らの自己の、地上の権利を持たぬ私は第一に全くの住所不定へ。それからその次へ。~」と始まります。「その次へ」をどう取るかが亀之助を理解する上で、大きな分かれ道になるような気がしています。

 それにしても、これを引くとはと驚きでした。というのも、この「父と母へ」に関して前回のブログでも取り上げていて、その最初の部分「さよなら。なんとなくお気の毒です。親であるあなたも、その子である私にも、生んだり生まれたりしたことに就てたいした自信がないのです。」を引用しつつ「そこには、現代的な問いが含まれていると思うのは、私の勝手な思い込みかもしれないが…。」と書いたからです。

 今回の参加にあたり、亀之助の生涯を詳しく調査した秋本潔氏の『評伝 尾形亀之助』を読みかけていました。亀之助の生家の背景も詳しく調べられています。そこを読む中で、亀之助の成長過程と作品との結びつきを考えざるを得ないように思ってきています。特に11歳で喘息の治療のためとは言え、親から離れた鎌倉での生活や、その後の東京での生活も気にかかります。ポエカフェでいろいろな詩人に出会ってきましたが、尾形亀之助ほど成長過程と作品が結びついている詩人は内容に感じています。

 先に引用した中の「生んだり生まれたりしたことに就てたいした自信がないのです」という箇所は、亀之助の社会に対する向き合い方に決定的な影響を与えていたのではないかといったら考えすぎでしょうか。無為としか見えない暮らしの中で、自分にとってのリアリティーを探し求めつづけたのが亀之助だったのではと思うのです。それは、目の前の暮らしより、存在の本質へと向かわざるを得なくさせたのではないかと思うのです。

 作品への「浮遊感」という評も聞かれましたし、「ボンボン」という評もありました。そう言われてもしょうがない生き方でしょう。しかし、作品の底に流れる言語化を拒むような感覚にこそ亀之助の本質が隠されてるように感じるのです。亀之助のこんなところに、どうやら惹かれているようです。そうすると、私自身、かなり危なっかしい存在ということになるかもしれませんが…。

追記1:『障子のある家』に収められた「おまけ 滑稽無声映画「形のない国」の梗概」も好きな作品です。

追記2:亀之助の生涯については、今回も古書ますく堂さんのブログ「古書ますく堂の、なまけもの日記」を参照してください。

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