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2018年6月

「放してくれないのです」 ポエトリーカフェ参加の記 第8期の6(尾崎放哉篇)

 遅くなってしまいましたが、先月27日に開催されたポエカフェ尾崎放哉篇の参加記をUPしておきます。既に2週間と1日が経過していますが、これを書いている私の目の前には、尾崎放哉関連の書籍が何冊かあります。今日も図書館の貸し出しを延長手続きをしたところです。放哉さん、なかなか放してくれないようです。

 尾崎放哉はポエカフェで取り上げられるのは2回目です。1回目は2014年8月のポエカフェでした。その時のブログにも書きましたが、尾崎放哉を知るきっかけになったのは、お世話になっていた先生から放哉の師匠とも言える荻原井泉水の小さな本を貸していただいたことがきっかけでした。日本語の表現を学ぶようにと貸された本でしたが、そこで尾崎放哉に出会ったのでしたそれ以来、決して深く読んでいるとはいえないながらも、常に気になり続けている俳人です。

 尾崎放哉の生涯についてPippoさんが説明しながら、朗読くじで引いた句を朗読するいつものスタイルで、会は進んでいきます。尾崎放哉の生涯については、今回も「古書ますく堂」さんがブログでうまくまとめてくださっているので、是非ご覧いただければと思います。

 さて、今回の朗読することになった句は、くじ2本分ということになりましたが、一つは帝大時代の作を8句、もう一つは大正7~8年の作を10句集めたものでした。帝大時代のものは、定型の作品です。2句づつ読みましたが、その一句づつをここにあげておきます。帝大時代からは「狂気の、老女寝て居る座敷牢」です。これは、恋心を募らせていた澤芳衛にあてた諸巻中のものということですが、芳衛さん、この句をどのように読んだのでしょうか?定型ではありますが、題材として気になった句でした。「狂気の」の後につけられた「、」がとても気になります。

 大正7~8年の句からは「銭が土の間に転がりて音なし」です。まだ東洋生命保険会社で働いていた時期の句です。そのことを考え合わせると、仕事への遣る瀬無い思いが既に込められているのかと、深読みしたくなってしまいます。

今回、くじで当たったのは、どちらも放哉の作品の中では、初期のものです。しかし、小豆島に渡ってからのものに、どうしても心は惹かれていきます。小豆島での生活は一年にも満たない端機関です。今回の資料でもその時代から49句が取られています。

 その中で朗読された句をあげておきます。「ここまで来てしまつて急な手紙を書いてゐる」「いつしかついて来た犬と浜辺に居る」「追つかけて追いついた風の中」「切られる花を病人見てゐる」「お遍路木槿の花をほめる杖つく」「淋しい寝る本がない」「せきをしてもひとり」「墓のうらに廻る」「渚白い足出し」「肉がやせて来る太い骨である」

 朗読された方々か等、様々な感想や質問が出ます。放哉の句は、読み手にあまりにも多くの事を託しているように思えて来ます。短く、それでどうしたと言いたくなるような表現なのに、読み手によって、広がる世界は多様なのです。いや、多様な世界を広げさせる力を持った句なのでしょう。

 おそらく放哉の句のなかでももっとも有名なもののの一つ「せきをしてもひとり」にしても、放哉の病気を考えると、この「せき」単なる「せき」には思えません。病気の苦しさが背後にあるように思えるのです。病気の状況から考えて、かなりの苦しさの中での句ではと思えるのですが、残された言葉は、あまりにも簡潔です。なんの事もない言葉に見えて、これ以上そぎ落とせない言葉に見えてきます。

 実際の放哉という人物について、評価は関わった立場によって、かなり大きな幅があるようです。荻原井泉水の「放哉という男」では、俳人としての放哉について、高い評価を与えています。一方で、小豆島に取材した吉村昭氏の「海も暮れきる」では、一人の人間としての放哉の弱さも隠すところなく描かれている。しかし、吉村氏もまた放哉に惹きつけられているのです。

 死を意識しながら研ぎ澄まされていく感覚の中で、後世に残る句を書き続けた放哉。死への向き合い方は異なれど、その句の言葉になぜか惹きつけられる自分を確認するポエカフェの時となったのでした。それにしても放哉さん、放してはくれないようです。

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