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2019年3月

「白いドレスに身を包んで」 ポエトリーカフェ参加の記 第 9期の1(エミリー・ディキンソン篇)

 2009年10月に始まったPippoさん主催のポエカフェもついに9期目が始まりました。このような勉強会がこれだけ長く続くこと、大変なことです。常連に新しい方を加えながら、楽しい時間が積み重ねられてきました。そして、これからも楽しい時間が続いていくのは確かです。

 2/24の夕、今回も楽しい時間を過ごす期待とともに、会場の伯剌西爾さんに向かいます。今回の詩人はエミリー・ディキンソンです。1830年生まれのアメリカの女性詩人です。女性が作家活動するなど考えられない時代の詩人です。生涯の途中に南北戦争が起こります。ピューリタンの移住で始まったアメリカもキリスト教の信仰が揺さぶられている時代です。伝統的な信仰を守ろうとする立場から信仰復興運動も起きてきます。様々な変動が起きている時代です。エミリーの生まれ育った街はマサチューセッツ州アマアスト。ボストンから120kmほどの田舎町です。

 若い頃は快活だったエミリーもある時から、白いドレスを着て、自宅にこもるようになります。そのエミリーが残した詩が死後出版され高い評価を受けます。わたしにとっては、名前を聞き、気にはなっていてもしっかり読んだことのない詩人です。少しは読んでからと思い、調べたところ、幾通りもの翻訳が出ています。しかも、翻訳者によってかなりイメージが異なります。

 「わたしの手紙の読み方はこうです/最初は戸に錠をロシ/確かに戸が閉まったか/手で押してみる」エミリー・ディキンソンの詩、作品番号636はこのように始められている。(新倉俊一訳)この詩の最後の2行には「それから天国がないのを嘆くのです/教義が与える「天国」ではなく」tあります。今回のポエカフェで朗読した詩です。

 大切な人からの手紙の読み方わ綴る詩の最後の2行です。信仰復興の大波が寄せ来る時代、周囲の人々が信仰告白しても、頑なとも思えるほどに拒み続けたディキンソンの詩に記された「天国」とはなんだのでしょう。原文は「And sigh for lack of Heaven - but not / The Heaven God bestow」です。かなり踏み込んだ意訳でしょう。神が与えたもう「天国」ではない天国とはなんでしょう。

 この詩に限らず、エミリーの詩にはキリスト教的な用語、表現が当たり前のように出てきます。そのせいでしょうか、会の開始そうそう、Pippoさんからキリスト教のことについてはペンギンさんに助けてもらいますという意味の発言があり、適切に話せるかドキドキでしたが、気がつけば結構話していました。少しはお役にたてたでしょうか。短い言葉で綴られ、独特な表記もあるエミリーの詩。そこから浮かび上がってくる世界は、一筋縄で行きません。彼女の信仰についても参加者の方から質問がありましたが、作品から読み取るには限界があり、「分からない」というのが正直なところです。

 また、英米文学の翻訳を志している方も参加しておられ、翻訳の仕方も随分と話題になりました。翻訳が多様なだけに、理解の上で大きな助けになりました。わたしが朗読した詩についても、参考になるお話を聞くことができ助けられました。

 キリスト教的な背景の詩だけがエミリーの詩ではありません。自然の描写の美しさも心に残ります。作品219の最初の連には「彼女はあやなす色の箒で掃く-/そしてこまぎれを残していく-/ねえ夕方の西空のおかみさん-/戻ってきて、池も掃除して長大な!」(亀井俊介訳)とあります。

 それでも気になるのです。白いドレスを着て自宅だけで過ごした彼女の生き方が。そのドレスで何を伝えたかったのだろうと考えてしまいます。自尊心が強く、詩に溢れていたエミリー。ピューリタンの文化の中で育ちながら、自分を取り巻く人々の信仰には同調できなかったエミリー。彼女の葛藤を思わざるを得ません。

 ポエカフェから2週間が過ぎた今も、彼女のことが気になっています。一昨日、図書館に行く機会があったので『エミリー・ディキンソン-わたしは可能性に住んでいる-』(岩田典子著)を借りてきました。少しずつでも親しめたらと思っています。最後になりましたが、古書ますく堂さんのブログも是非ご参照ください。

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