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ポエトリーカフェ参加の記 第2期の3 (安西冬衛、北川冬彦)

 Pippoさん主催のポエトリーカフェ(略してポエカフェ)第2期も3回目を迎えた。今回の課題詩人は、安西冬衛と北川冬彦の二人(Pippoさんによる当日の様子はこちらで)。第2期としてははじめて二人を一緒にとりあげる回。以前より時間が30分長くなったとはいえ、うまく時間に収まるかなと、やや心配しながら会場に向った。以下、月一度のポエカフェ参加記。おつき合いいただければ幸甚。

 まず、おどろいたのは参加者17名ということ。第1期の特別編だった鎌倉での回を除けば最大参加者数だ。新しい方も5名おられる。さらには第1期第1回に参加した方もおられる。ポエカフェを通してのつながりが、着実に広がっていることを感じる。

 それにしても、作品数も多く、全体に目を通そうとするだけで気が遠くなるような二人だ。いつもある程度は読んでから参加するようにしているが、今回ほど、たいへんだったことはない。もちろん、その大変さも楽しみのうちであることは言うまでもない。ただ、二人とも詩集を確保するだけでも大変だった。幸い安西冬衛は、隣市の図書館に全集が別巻1冊を除きそろっていた。北川冬彦も、全詩集が行くことの出来る範囲の図書館にあった。

 いつもは、自分なりに課題詩人をとらえるためのきっかけになるようなことを考えて参加するのだが、今回はともかく目を通すことで終っての参加となってしまった。二人の作品に圧倒されながらの参加といったところか。しかし、こんなときこそ、ポエカフェの解説や参加者のみなさんの発言がほんとうにありがたいのだ。

 今回も第2期になってから導入された「朗読くじ」で全員が引き当てた詩を朗読していくのだが、朗読した後、Pippoさんが朗読した方に感想を聞く。始めて読む方も多いのだが、その方の感想がとても興味深い。さらに、それをきっかけとして、けっこう盛り上がる。(今回は盛り上がりすぎて、時間が心配になる場面も。Pippoさん大変だったと思う。)

 見方によって、ほんとうに様々な意見があると思うが、今もこの二人の魅力は何だろうと考えている。実は、二人それぞれに、かなり魅力を感じている。それが何なのか、未だにはっきりと言えない部分が多い。安西冬衛は、全集を読んでいきたいとも思っている。北川冬彦も、少し時間をおいて全詩集を再読したい。

 安西については、日本語の使い方の独特さに惹かれている。使われている漢字に振り回され、辞書を横に置きながら読んでもいた。それこそ安西の術中に嵌っているのではないかと思う。しかし、おもいきって嵌ってもいいかと思わせるものがある。その詩語の世界から立ち上がって来る、さまざまなイメージ。それは決して誰もがここちよく美しく感じるものではないかもしれない。しかし、彼の描き出そうとしたイメージの世界の向こうに何があるのか、また、そのようなイメージを紡ぎ出す、安西の日本語にとても興味をかき立てられていることは間違いない。

 北川冬彦は、映像にかかわる仕事をしていた。戦争中も、その方面の仕事で徴用されている。彼の詩を読んでいると、映像が浮かび上がって来る。「ラッシュ・アワ」という詩は「改札口で/指が 切符と一緒に切られた」という短いものだが、改札口で駅員がリズミカルに、そして無機質にたてる、改札鋏がその音とともにクローズアップされて来る。また、今回は取り上げられなかったが北側自身が長編叙事詩と言っている、詩集『氾濫』に収められた5篇の詩は、そのまま映像化できるのではないかと思わされる。

 同時代に活躍し、時代別の詩の本などでもいっしょにされていることの多い安西と北川。参加してみて、あらためて一緒にとりあげてもらい、良かったというのが偽らざる実感。二人の生涯をいったりきたりしながら、並行して生涯を説明し、詩が紹介されていく。そこに違う味わいの詩を同時に読んでいく面白さがあった。そこから、二人の詩を考えるきっかけをもらったように思える。

 最後にあらためて課題と感じたことを書いておく。長生きした近代詩人がとりあげられる際に、いつも気になることに戦争詩のことがある。それまでの作風と全く異なる形の戦争詩を量産した安西。戦争期に、やはりそれまでの作風とは異なる詩を書いた北川。北川の場合は、戦争詩ではなく、あまりにも平凡?ともいえるような作品。戦争詩を書くのではなく、あえてそのような形の詩を書くことで、抵抗していたのだろうか。それにしても、戦後の安西が、戦争詩のことなど知らぬとばかりの活動していくのにも驚く。ただ、それだけで安西を否定しようとは思わない。むしろそれぞれの戦争期の活動から何を見ていくことができるか、刊上げ続けることが必要なのかと思っている。

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ポエトリーカフェ参加の記 第2期の2 (村野四郎)

 5月28日に行われた、Pippoさん主催のポエトリーカフェ(以下ポエカフェ)に、参加した。会場は前回と同じ「ちめんかのや」さん。ギャラリースペースを使用させていただく。椅子の数が少ないので、板の間にクッションをしいて大半の参加者がすわることとなる。この雰囲気もリラックスできてよい。(毎回、クッションを用意するPippoさんカヒロさんは大変かも?ですが)

 今回はポエカフェ第2期第2回だが、ポエカフェ通算16回目にして、はじめてのことが起った。開始時点でPippoさん以外、全員が男性という事態。途中で、ひとり女性が参加されたが、何がこのような現象を起こさせたのだろう。募集途中に、Pippoさんも男性率がやたら高いとTwitterでつぶやいていたのだが、目の当たりにしてびっくりだった。村野四郎という詩人がそうさせるのだろうか?Pippoさんも村野四郎が大好きという女性に会ったことがないとつぶやいていたと記憶しているが…。

 年齢層は広いが、ちょっと異様?な光景をもって始まった今回のポエカフェ。いつも通りPippoさんによる、詩人の生涯の紹介とともに、間で作品が朗読されていく。今回も、前回に続いて朗読のいくつかは、参加者全員にくじびきで割り振られる。初めての作品を朗読される方も居る、このくじだが、前回やってみて、いい試みと思った。朗読の技術を競うのではなく,自分にわたされた詩をその場で声に出してみることで、ただ目で追うときには得られない、感覚を味わえると思う。自分で気づくところも多いと同時に、他の参加者さんたちの朗読を聴くのも楽しい。(これから参加をかんがえておられる方で朗読はと思われる方がいたら、決して心配ないと申し上げておきたい。)

 また、途中で、新しい方からの質問をきっかけに、それぞれが好きな詩人や暗唱している詩を披露する時間があったが、それぞれに個性を発揮する楽しい時間となった。(突然、歌い出す方も)

 さて、くじで私があたったのは「実在の岸辺」所収の『黒い歌』だった。「実在の岸辺」は1952年刊行の第7詩集だ。1939年に刊行された第2詩集「体操詩集」以後、戦争の時期を経て、実存主義に出会ったのちのはじめての詩集という。新即物主義による「体操詩集」とは、おおきく異なる世界がある。(この新即物主義にも、とても興味をそそられる)

 実は、今回の募集の直前に「体操詩集」と「実在の岸辺」が収められ、「体操詩集」という題で2004年に刊行されていた詩集を借りて読んでいた。そのとき、この2つの詩集からうける感覚の違いにとまどっていた。その後、この詩集の間に、戦争があり、その中で苦悩する村野四郎がいたことを知った。1945年刊行の第5詩集「故園の菫」では自らの詩を「愛国詩」と言っている。しかし、そこに収められた詩は、「愛国詩」という言葉から受けるイメージと一致するものではないだろう。

 そこでの『黒い歌』だ。正直、今回朗読するまで、この詩をどう受け止めたら良いのかとまどっていた。しかし、今回朗読してみて、これは詩人が新しい道へ踏み出そうとする決意の歌であると同時に、後の詩に比べると、まだその道へ踏み出したばかりゆえの、ゆらぎというようなものを感じた。世界とどう向き合うかを自らに問い続ける詩人の、その時点での思いが込められた詩として、受け止めさせてもらった。

 ポエカフェ後、村野四郎が第11回読売文学賞を受賞した「亡羊記」の後書を読み返している。そこには「徹底したニヒリズムの底から湧き上がる積極性こそ、信じられる一つの力」とある。この時期の詩には、そこに立ち続ける者としての強さをとても感じる。(村野四郎のこのような強さは、もしかするとファンに女性が少ないというところに結びつくかもしれないなどと思ったりもするが…。)

 そのような村野四郎の最後の時期の詩として『御回診 東京N病院にて』が紹介された。そこに、それまでの強さとは異質なものがあるように感じるのは、私だけではないだろう。この詩人の強さとの関係で、この詩が気にかかっている。

 ここまで書いてきて思うのだが、村野四郎という詩人は、私に多くのことを考えるきっかけを投げ続けていてくれるようだ。それは、Pippoさんが委員長の近代詩復興委員会 貧しき信徒支部長(八木重吉担当)の私にとって、大きな意味を持つようにも思える。

 最後になりますが、告知を一つさせてください。Pippoさん編集の詩冊子「ぼん・くらーじゅ」が刊行されました。震災をきっかけに誕生した、冊子です。くわしくは、こちらをご覧頂き、ぜひ手に取っていただきたいと思います。(私も八木重吉の詩『石』を紹介しました。)

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貧しき信徒 支部長から(1)

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 ここにあげた2篇の詩は、八木重吉の『秋の瞳」巻頭におさめられたものです。今回からポエカフェ参加記の番外編?として八木重吉について書いていきたいと思っています。Pippoさんが会長をつとめる「日本近代詩復興委員会」において、ずうずうしくも「貧しき信徒支部長」を名乗らせていただいていますので、少しは活動もしなければなりません(笑)。おつきあいいただければ、さいわいです。

 とは言いましても歴史の中に埋もれがちな日本近代詩人の中にあって、八木重吉は今やメジャーな存在と言えるかもしれません。クリスチャンの信仰詩人として知られる一方で、今年も小学館から選詩集が「永遠の詩」シリーズの一冊として出版されたほどです。私ごときが何か書けるはずもないのですが、一読者として、八木重吉の生涯を含め、簡単な紹介ができればと思っています。

 最初にあげた2篇の詩、それぞれ4行だけのとても短い詩です。その短い詩の中に、凛とした雰囲気がただよっているのではないでしょうか。とてもひきしまった4行です。この記事を書くにあたり、最初にどの詩をあげようかと悩んだのですが、この2篇には、その後の重吉の行く路が端的にあらわれているように思っています。しずかに、そして背筋のぴんとのびた詩人の姿勢が浮かび上がります。心のうちがわを見つめる目と、ひとりの存在をこえるものへの目、それがここにはともにあるように思います。空を見るあかんぼを見ている重吉の目。あかんぼの姿に、おかしがたいものを感じ息をころさざるを得ない重吉。自分の心の中に、みずからのこころに痛みを与える枝があるのをしずかにかなしく見る重吉。その目は、重吉の生涯を通じて変わらぬものとしてありつづけたものでしょう。

 最初の詩集である『秋の瞳』は重吉28歳1925年(大正14年)に世に出ました。その2年後1927年(昭和2年)には30歳で地上の生涯を終えています。ほんとうに短い生涯です。死を目前にして、自ら選んだ詩集『貧しき信徒』が翌年に出版されています。重吉自らの手になる詩集は、この2冊だけです。しかし、その背後には、膨大な詩稿が残されていました。それをふくめての詩集が後に刊行されていくことになり、その中で重吉の名は知られていくようになります。

 今回は、最後に30歳で昇天するまでの重吉の年譜を簡単に記しておきます。次回からは、生涯のエピソードをふくめながら詩を紹介していきます。

  明治31(1898) 2月9日 東京府南多摩群堺村相原大戸
          (現在の東京と町田市相原町)にて代々
          農業を営む八木家の三男二女の中の次男
          として生れる。
  明治37(1904) 6歳、大戸尋常小学校に入学
  明治45(1912) 14歳、隣村の神奈川県津久井郡川尻村
          小学校の高等科を卒業し、
          神奈川県鎌倉師範学校に入学。
          英語の成績抜群。
          日本メソジスト鎌倉教会のバイブルクラ
          スへ出席したと言われる。
  大正6(1917)  19歳、鎌倉師範学校本科第一部を卒業し、
          東京都高等師範学校に入学。
  大正8(1919)  21歳、駒込基督会の富永徳磨牧師より受洗。
          内村鑑三の著作や講演を通して、無教会信仰に
          近づく。
  大正10(1921) 23歳、3月、同宿の石井教諭に頼まれ、
          島田とみの勉強をみることになる。
          東京高等師範学校文科第三部(英文科)を卒業。
          4月、兵庫県御影師範学校教諭兼訓導
          (英語科)として任地に赴く。
  大正11(1922) 24歳、7月19日 島田とみ子(18歳)と結婚。
  大正12(1923) 25歳、詩を手製の小詩集(詩群)に
          まとめ始める。
          5月26日 長女桃子誕生。
  大正14(1925) 27歳、1月1日 長男陽二誕生。 
          3月 千葉県東葛飾中学校英語科教諭に転任。
          8月 処女詩集『秋の瞳』を新潮社より出版。
  大正15(1926) 3月 柏にて肺結核と診断される。
          5月 神奈川県茅ヶ崎町南湖病院に入院。
          10月頃より余病の併発に苦しみながら
          闘病生活。
  昭和2(1927)  10月26日。昇天。

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ポエトリーカフェ参加の記8(萩原朔太郎)

 Pippoさん主催のポエトリーカフェも今回で第1期の最終回となり、10/30にポエカフェファイナルとして行なわれた。ポエカフェへの参加も今回で8回目となる。通算14回開催されたポエカフェだが、そのうち8回の参加できたことは、思い返しても嬉しい体験となっている。すばらしい体験を与えてくださったPippoさんとカヒロさんに心から感謝と拍手!!

 このブログも、いつしかポエカフェ参加記を書き続けることとなった。その過程で、P-Waveのポエカフェページから大きな扱いでリンクをはっていただき、私としては大感激だった。(なんと、トップ下の扱い。ありがとうございました。)

 今回取り上げられ歌のは、萩原朔太郎。ファイナルということもあり、第一部・田端文士村文学散歩、第二部・ポエトリーカフェという二部構成。文士村散歩も楽しみにしていたが、当日はなんと台風が…。皆さん来れるのだろうかという大きな不安を胸に妻といっしょに田端駅北口改札へと向った。交通が乱れることを考えて少し早めに着くように向ったのだが、無事到着。構内のコーヒーショップで少し時間を過ごしてから、改札へ向う。ちょうど皆さんが来られるのと一緒になり、なんと9人が集まる。主催のPippoさんは大きな不安を胸にこれらたようだが、涙がでそうになったとのこと。集まった我々も、互いに、「こんな日に集まる方がおかしいよね」などと互いに言い交わしながらにこにこ集まっている。

 当日の詳細は、Pippoさんのブログに詳しいので、そちらをご覧いただきたいが、台風の中、大挙して?押し寄せた見学者に感激した記念館の方の歓迎を受け、展示物の説明までくわしくしていただくという付録がついた。

 台風のせいで、外歩きは縮小されたが、それでも、おそらくいちばん天候のひどい時間帯に朔太郎が住んでいた場所(その跡はまったくないが)まで歩いた。晴れていたら、もっと歩けたのだろう。残念だが、こればかりは仕方がない。

 第二部は会場で待っていた方もいっしょになり、15名の参加。久しぶりの方に加えてファイナルにして初めての方も!ポエカフェの魅力が着実に浸透してきているのだなと思う。あの天候の中でのこの人数。今振り返っても、みなさん、Pippoさんの不思議な力に引き寄せられたとしか思えない。もちろん近代詩の魅力は大きいが、ポエカフェという場が、魅力的でなければ、続かないし、こんな日に集まることもないだろう。

 通算14回目になる、今回のポエカフェ。いつにもまして参加者からの発言が多かったように思えた。詩との関わり方、年代もそれぞれにことなり、幅の広い参加者となった今回、それだけにさまざまな視点からの発言がとびだした。群馬の詩人たちのこと、朔太郎と住んだ土地との関係なども含め、話が広がっていく。こんなところにポエカフェの魅力の一つがあることをあらためて感じる。Pippoさんが準備をしてくださる詩人の生涯を聞き、詩の朗読を聞く中で、それぞれに思いがふくらみ、疑問や、興味が生まれていく。その点でも、今回のファイナルはとてもよかったように思えた。

 疑問や興味が広がることは、その一方で、もっとこのことについて聞きたかったというような要望を生み出すことにもなる。PippoさんのTwitterにも、多くの要望が出され、それがみんなバラバラだったとあった。Pippoさん自身、それをすてきなことと受け止めておられた。私もそう思う。それは、ポエカフェが詩の入口として機能していることだとも思う。

 この先には、その興味や疑問にどう応えて行くかということもあるのだろうが、それはまた別の形を必要とするのかも知れない。(ポエカフェ合宿や、近代詩復興委員会合宿という声がどこからか聞こえていたようにも思うが…)Pippoさんを発信源とした近代詩復興の輪が、いろんな人の力を集めながら、次のステージに進めたらすばらしいと、ファイナルを終えた今、あらためて思っている。

 私自身、昨年の今頃は、これほどまでに近代詩の魅力に取り憑かれる?とは思っていなかった。しかし、私にとって、ポエカフェの参加から得られたものは、一人で詩を読んでいただけでは決して得られなかったものであることは、間違いのないことだ。

 ところで、ポエカフェに行く時、取り上げられる詩人に着いて事前にできるだけ多く読んでいく。その中で、いつもはあるていどのイメージをもって臨めたのだが、今回はそうではなかった。不思議な親近感を感じると同時に、朔太郎の持つ幅の広さなのか、さまざまな「?」が頭に浮かんだ中での参加となった。

 そして今でも、たくさんの「?」がある。いやポエカフェ後も,朔太郎のことが頭から離れない。絡めとられてしまいそうな気さえする。後日、雑司ヶ谷の古書往来座で行なわれた外市でPippoさんと話せる機会があったが、そこでも朔太郎についての話題となった。そんな状態だが、私なりの感想を以下に記しておく。

 『月に吠える』から受ける鮮烈なイメージが強く残った。浮かび上がってくる不思議なリズム。声を出して読むと、リズムに引きずられるように前へ前へと読まされていく感覚を味わった。前のめりになりそうなリズムとでも言える様な感覚だ。

 歌われている内容から来る怖さや不思議な感覚もある。今回「酒精中毒者の死」を朗読させていただいたが、参加された方から「怖い」という感想があった。朔太郎が見ていた世界のある意味の怖さ、深い哀しさが込められている様な気がして選んだ(この他にも気になるのはあったのだが、短いのを朗読したいと思いこれを選んだ)。そしてこの詩を選んだ何よりの理由は、これを声に出して読んでいるとき、泣きそうになってしまったことだった。理由は分からない。今日もあらためて音読してみて、同じ思いにかられた。

 その一方で、文語調で書かれた『氷島』のことが気にかかる。評価はいろいろあるようだが、私には朔太郎の叫びがここに込められているように思えた。しかし、『月に吠える』とは全く異なる、文体だ。大きな評価を得た、かつての文体を捨てなければ叫べなかったのだろうか。朔太郎のうちに肉体化している言葉は…と、まとまらないままにいろいろな思いが浮かんでくる。

 疑問の連続の中で、頭をよぎるのは朔太郎の結婚に対する態度だ。最初の妻、稲子との結婚生活に於ける朔太郎の言動に、彼の対人関係についての考え方やコミュニケーションの特徴が表されているのではないかと、私には思える。詳しく記せるほどまとまってはいないのだが、朔太郎という詩人は、自分の生涯を一つの方向に演出していことしていたのではないかいう考えが、頭をよぎって仕方がない。

 Pippoさんは、朔太郎を好きな理由を聞かれて「放っておけない」と答えたという。確かにと思わせる答だと、今、思っている。

 

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ポエトリーカフェ参加の記7(金子光晴)

 今回もポエトリーカフェ参加記でのブログ更新となった。今度こそ、間に読書メモをと思っていたのだが...。Pippoさんの主催するポエトリーカフェ(以下、ポエカフェ。詳細はこちら。)も第1期は今回を含めて残り2回となった。東京ポエカフェも鎌倉での開催を含めると12回になるが、気がつけば、そのうち7回も参加していた。申込開始時刻になりしだい、申込のメールを送るということにも慣れ、すっかり私の生活サイクルに入っている。還暦が視野に入ってきた年齢になって、これほど詩を読むことになるとは1年前には想像していなかったのだが。

 さて、今回のポエカフェ、開始時刻が予定より大幅に遅れた。それは、人身事故(悲しい言葉だ)により、中央線が止まり、何人もの方が間に合わなかったためだった。私も、あと二本遅い電車だったら間に合っていなかっただろう。ちょっと早く着いて腹ごしらえをして店を出ると、ホーム直前で止まっている電車が!どうなるだろうと思いつつ会場に向った。

 案の定、何人かが間に合わず、やむを得ず正午の開始予定から1時間近く遅れて始めることとなった。待つ間にも、持ってきた本を見せたり、会場となった店の様子を話したり、それなりに楽しい時間が過ぎていく。今回新しく参加された方には、この時間を使ってポエカフェの説明をするPippoさん。会場を使用できるのが2時までなので、その後は場所を移すことにし、ほとんどの方がそろったところで開始した。

 長生きされている上に、エピソード、作品ともに多い金子光晴のこと、Pippoさんの説明も大変だなと思っていたが、生涯については、何とか1時間で収まった。しかし、配布された資料を見ると、もう少し話したいことがあったのでは?と思う。それでも、11篇の詩が紹介された(長いものは抜粋で)。いつもながら、Pippoさんの朗読は詩のことばが心にすっと入ってくる。これもポエカフェの大きな楽しみ。

 2時を過ぎて場所を荻窪の南、太田黒公園にうつす。素敵な日本庭園の中にある東屋を占拠しての2次ポエカフェだ。たまにはこんな空間でもポエカフェも良いなと思いつつ、参加者の方々の金子光晴についての発言を聞いていく。残念ながらここに来られない方もおられたのだが、皆さんそれぞれの発言にいろいろな発見があり、楽しい時間となった。時に、背後で鯉のはねる水音もまたよいもの。

 この場所で、Pippoさんが金子光晴の写真集を見せてくださった。荻窪や吉祥寺界隈での写真に、知っている場所や見覚えのある風景もあり、金子光晴が、より身近に感じられる。写真であっても詩人の風貌に接することで、味わいが深まるようにも思える。

 今回のポエカフェに向けて、金子光晴の詩をまとめて読み、またポエカフェを通して感じたことを以下に記す。詩について経験浅く、金子光晴の詩をまとめて読んだのも、もちろん初めて。見当違いな点はご容赦いただきたい。

 最初に衝撃を受けたのは詩集「鮫」に代表される、戦前の日本社会の体制への批判が込められた詩だ。たしかに幾重にも鍵がかけられ、直接的な批判表現がされていないとはいえ、読む者がそれなりの目をもっていれば分かるものである。この姿勢を貫いていく詩人の姿勢の背後に何があったのか考えさせられる。(参加者の方からも、この点が指摘されていた。) 

 幼いころからの性的な体験を含めた成長の過程に、権威に対する独自の目が養われていったということもできるかもしれない。また、東南アジアや中国を放浪どうように旅していく中で出会った出来事が深く影響しているということもできるであろう。しかし、それらの経験だけなのだろうか。私には疑問は残っている。

 1917年ごろに書かれた「反対」という詩の末尾には次のようにある。

  僕は信じる。反対こそ、人生で
  唯一つ立派なことだと。
  反対こそ、生きてることだ。
  反対こそ、じぶんをつかむことだ。
           (岩波文庫『金子光晴詩集』より)

また、1952年に出された詩集『人間の悲劇』の中No.5の冒頭には以下のことばがある。詩人の生涯をつらぬいている姿勢の一端が示された言葉ではないだろうか。

  正しい意見とされてゐるものを、吾人はよくよく警戒しなければならない。
  正しい意見はその正しさにもたれる重力でゆがみ、決してくるふはずではなかった方角へ外れがちなのだ。
            (筑摩書房『定本金子光晴全詩集』より)

 それにしても、詩の1篇1篇を読んでいくとき、ひとつひとつの言葉の強さに圧倒される思いがした。読む者を圧倒するエネルギーが満ちている。人間のすべてを認め、丸呑みにした上で出されてくることばの力に圧倒されたといえるだろう。汚いとされるものを描いても、決して汚くならない金子光晴のことばのすごさがある。

 思いつくままに書いていけばいくらでもでてきそうな金子光晴への思い。それも金子光晴のエネルギーがそうさせるのだろう。今回、まとめて読む中で、ノートにメモをとっていったが、今のところ、自分の中での金子光晴をあらわすことばは、「徹底したニヒリストでありヒューマニストであった」ということになるようだ。

 一見、両極に見えるものを抱え込んだ詩人が金子光晴なのではないか。とはいえ、この2つ、両極に見えて決してそうではないと思う。ヒューマニストであることを徹底していく先にはニヒリズムが当然待ち受けていると思うからだ。『人間の悲劇』の中、No.1の最後に近い部分には「全く人間にあいそをつかしたときだけ、かへって人間は、同胞にみえる。」とある。このような詩人の生き様が、晩年に出された詩集『IL』に出てくるキリストの姿に結びついていくのではないだろうか。

 金子光晴のエネルギーは、読む者にもエネルギーを要求するかのようだ。あまりに密着して読むのは避けた方がよいのかとさえ思う。それはひとつひとつのことばを通して、詩人が読む者に迫ってくるからだ。とりあえず、ゆっくり、くりかえし読むことにしよう。

 

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ポエトリーカフェ参加の記6(大木実、高村光太郎)

 このブログも、読書メモというより、ポエトリーカフェ参加の記ブログといった様子を呈しはじめている。もちろん、その間に取り上げられる詩人以外の読書もしているのだが、そちらについてはなかなか書けずにいる。ポエトリーカフェ(以下ポエカフェ)に参加するようになり、詩を読むことが読書のかなりの部分を占めている。それで、おのずから?このようなブログになっている。どうやらポエカフェを主催するPippoさんの術中にみごとに嵌っているようだ。

 今回(8/28)のポエカフェの様子を、こちらの動画で見ることができる。Pippoさんの活動拠点とも言える「わめぞ」地域にある「ROCKET CAFE / ロケットカフェ 」で行なわれた。古書「往来座」の目と鼻の先にある。入っていくと、ビッグバンドの演奏が流れている。こじんまりとしているが、いいふんいきのお店だ。今回、めずらしくPippoさん、カヒロさんの到着が遅い。参加者が数名ほど集まっているところに、Pippoさんがコピーのたばを持って到着。どうやら、ぎりぎりまで取り上げる詩を絞り込んでいたようだ。当日の朝もTwitterで大木実の詩をなかなか絞り込めないとつぶやいていたが、そのせいか?
 
 資料を配布し終わるや、さっそくポエカフェの開始。初めての方もいらっしゃるので、ポエカフェについて説明がある。しばらくぶりで、かえって新鮮。その後、すぐに大木実を取り上げる。ほとんどの人が、今回のポエカフェまで、大木実を知らなかったという。私もそうだ。大木実の生涯が取り上げられ、Pippoさんの朗読がその間にはさまれていく。自分の周囲半径5メートルのことをうたった詩人というPippoさんの言葉どおり、生活に密着した情景が、誰にでもわかるようなことばでつづられている。人を驚かすような技巧があるわけではない。しかし、そのことばは聞く者、読む者の心にすっと入ってくる。Pippoさんの朗読も、詩のことばを浮かび上がらせてくれている。

 二人の詩人が取り上げられているので、一人についてあまり多くの時間を割けないのだが、大木実だけで1時間をこしてしまう。カヒロさんが時間を気にしている。しかし、初めて知った詩人であっても、参加者の方々からの発言が多い。みなさんの心に大木実の詩が届いているのだろう。

 残り時間がかなり少なくなってから、高村光太郎に移る。知らない人はもちろんいない有名詩人。いつごろ知ったかで、ひととき盛り上がる。岩手県にある「高村山荘」を訪問したばかりのPippoさんから、パンフレットが配られる。すてきなおみやげ。さらに晩年の智恵子が作成した切絵の絵はがきも回覧。

 光太郎の生涯を紹介しながら「道程」、「智恵子抄」の詩が紹介されていく。参加者からの発言、こちらも多い。ということで、案の定、時間内におさまらず、やむをえず近くの中華のお店に場所を移して、続けようということになる。二名の方が参加できなかったのは残念だった。ポエカフェ史上、初の事態だった。

 光太郎の生涯の中で、戦争協力詩の問題がある。Pippoさんもそのことで大きな衝撃を受けたと言っておられた。今回の岩手行きも、そのことを考えるためでもあったという。ロケットかフェでの最後で、この問題がとりあげられ、第2部?で続けられた。もちろん、どうして光太郎がこのような詩を書いたかということも話題になったが、それより印象的だったのは、その時代のことを語り継ぐことの必要性に話が進んでいったことだ。

 また、もう一つ印象的だったのは、智恵子は光太郎をどう思っていたかということが、参加者から問われたことだ。光太郎の純粋な智恵子への思いはその詩から充分に伝わる。しかし、それを智恵子がどう受け止めていたのだろうか。実は、ポエカフェ後、「芸術・・・・夢紀行 シリーズ1 高村光太郎 智恵子抄アルバム」という本を図書館で見つけた。何人かの方がこの点について書いておられる。その中に「光太郎と共に生き続けるためには、現実の世界から自己を切り離し、狂気の中に棲むしか道がなかったのだとは言えないだろうか?」(渡辺えり子)とあったのが気になっている心にひっかかっている。

 いつもより長くなるが、もう少しだけ二人の詩人について私自身が感じたことを書いておきたい。

 大木実の詩は、Pippoさんが選択に苦労したように、どれをとっても心に響いてくる。とはいえ、私自身においては、戦前のもののほうが、より響いてきたようだ。1943年に出された「故郷」という詩集がある。その中の『冬夜独居』という詩のさいごの部分に「これが生活というものか/幸福とはこうも静かに悲しいものなのか—」とある。晩年、人生を楽しむことができなかったということを語っている大木実。彼の心の底にあるものが、ここで直接顔を出しているように思えるのだが、どうなのだろうか。

 また、大木実は、多作であり詩集の数も多い。わずかな伝手があれば、積極的に先輩詩人に会いに行くこともあったようだ。生活にねざした詩を書き、作品数も多いにかかわらず、自分から積極的に発表しようとしなかった高橋元吉とは、正反対と言えるだろう。ポエカフェでも、そのことが言及された。

 生活の苦しみを避けようもなかった大木実。彼にとって詩を書き発表することこそが、生きて行くこととイコールに近かったのではないかと、ふと思った。そこに彼の生きる土台があったのではと。その切実さが、やさしいことばを通して、私たちにとどくのではないかと思う。高橋元吉は、生きる上での土台をもったうえで、自分の直面する日々を詩へと表わしていったのではないか。土台を確認する作業としての詩作なのではと、しろうとながらに考えている。

 高村光太郎については、戦争協力詩のことが、どうにも気にかかっていた。今回戦後まもなく書かれた「暗愚小伝」を読んだ。みずからを「暗愚」な者として綴られた20篇の詩だ。その最初に置かれた「土下座(憲法発布)」という詩がある。光太郎が幼い時の明治憲法発布の光景を描いたものだ。その最後に「私のあたまはその時、/誰かの手につよく押へつけられた。/雪にぬれた砂利のにほひがした。/—眼がつぶれるぞ—/」とある。

 これを読んだとき、光太郎の心は、押さえつけられたままではなかったのかと思った。光太郎の詩のことばには強さがある。しかし戦争協力詩の強さは、異質に思える。それは頭を押さえ続けられたなかで、投げつけたようなことばではなかったのだろうか。強く投げつけなければ、眼がつぶれると思っていたかにさえ感じる。自らの力でそれを押しのけられなかった光太郎は、自分を暗愚と呼んだように思える。その思いが、「暗愚小伝」中の「終戦」「報告(智恵子に)」に示されていると。
 
 長くなったが、大木実の詩をもっと読みたくなったことを付け加えておこう。古本屋で見つけられればいいのだが...。
 
 

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ポエトリーカフェ参加の記5(中原中也)

 前回の記事から、一ヶ月近くたってしまった。遅くなったが、今回も前回に続き、詩姫Pippoさんが主催するポエトリーカフェ(以下、ポエカフェ)参加の記。はやいものでもう5回目の参加。7/24に行なわれた今回のポエカフェはなんと、詩人の城戸朱理さんのお招きで鎌倉で行なわれるという、これまでとはひと味ちがった趣きの会となった。(当日の様子はこちらのPippoさんのブログで)

 第1部がオプションの「鎌倉文学散歩」、第2部が北鎌倉駅前の「侘助」での「本編」という構成。暑い日射しの中の文学散歩だったが、中也や、小林秀雄、田村隆一ゆかりの地で、城戸さんの解説、Pippoさんの朗読という贅沢な時間を過ごすことができた。ゆったりと歩きながら周ったが、傍目に見たらけっこう不思議な集団だったろう(上記Pippoさんのブログに写真がある)。

 さらに本編では、芥川賞作家の藤沢周さん、文芸評論家の、八木寧子さんも飛び入りで参加してくださった。参加者どうし、Twitterでフォローしていた方に初めてお会いできるのもこんな機会なればこそだ。会場の「侘助」も中也を中心に時間を過ごすに、ふさわしい趣きがある。とはいえ、申し込んだ参加者だけでも20名なので、席はびっしりになる。そんな中で、Pippoさんの解説が始まる。ここぞというところで城戸さんの分かりやすい解説が入る。Pippoさんの朗読をはさんで時はあっというまに過ぎていった。

 印象深かったことの一つに「曇天」にでてくる「黒い 旗」の解釈があった。この詩を初めて読んだとき怖くなったというPippoさん。同様の感想を持つ方や、「黒」が象徴するものとして「ファシズム」があるという指摘。「死」を思う方。さまざまな意見がだされた。私としては「ファシズム」との関連が気になった。「中也の内なるファシズム」ということばが頭をよぎる。この方向での解釈はありうるのだろうか。中也の詩の中には自らの「死」に関係するものがある。それらは、自らとの向き合い、自らをどう扱うかということと関わる詩と言えるのではないだろうか。そこに描かれた世界とも関連して「黒い旗」を考えることもできるのではと思う。

 今回は、最後に一人一人の思ったことを言う時間があった。普段より多い人数に配慮してのことであろうか。そこでの皆さんの発言の一つ一つが興味深く、この段階で予定時間を過ぎていたが、この時間があったことで、今回のポエカフェがさらに印象に残るものとなった。

 実は、若い頃、中也を意識的に避けていたと思う。何か、その時の自分が近づいてはいけないという直感のようなものによる。それで、今回のポエカフェで取り上げるのが中也と知った時、「ウワッ!」と思った。しかし、こんな機会がなければ読まないだろうと、まとめて読む。読みつつ、思いに浮かんだことをメモを取っていくのだが、その一部をここに記しておく。

 「中也のことばの持つ力。心の中にくいこんでくる。自分の弱さを知る者、中也と同じような社会との葛藤を経験した者にとって、それは苦しい力となる。読み進めることが苦しい作業とさえなりうることを感じながら読む。」
 
 今となってみれば、この苦しさを直感したために、若い頃、中也を避けていたのかもしれないと思い至った。
 
 しかし、中也の詩のことばは、あくまでも読む者にここちよいリズムを持っている。今回、できるかぎり声に出して読んでみたのだが、日本語としてのすごさを痛感した。ポエカフェの最中にも、中也の日本語のすばらしさについて話しが交わされた。だからこそ、多くの人の心に入りやすいのかも知れない。そのことばのすばらしさに包まれた苦さ。読んだ後、そのすばらしさから苦さがとけだしてくるその時、中也に出会えるのだろう。この歳になって、私自身は、やっと中也と向かい合えるように思えた。

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ポエトリーカフェ参加の記4(立原道造)

 詩姫Pippoさんのお主催するポエトリーカフェ(以下ポエカフェ、詳細はこちら)に参加するのも、6月で4回目。参加しはじめてからというもの、読書の多くの部分が詩で占められるという事態になった。けっこう長いこと生きてきたが、これだけ集中的に詩を読んだことはない。詩の世界にあこがれながら、今ひとつ近づけなかった私だが、ポエカフェに参加することで、詩の世界が自分にちかづいてきていることをつくづく感じる。Pippoさんの解説と朗読。いろいろな人の解釈を聞くこと。一人だけでは味わえない世界がそこにある。参加者の年齢層の広さも世界を広げてくれる。

 そんなことで,毎月の楽しみとなっているポエカフェだが、今回は立原道造が取り上げられた。会場は神保町の喫茶店『喫茶去(きっさこ)』。ここになんでこんな建物が!という木造家屋。その2階の和室を借り切ってポエカフェ。場所が狭いので参加者は8名。あっというまに定員に達し、参加したくともできなかった方たちもいたようだ。その部屋、元は茶室だったということで(参加者の一人が店主さんに確認)、雰囲気がとてもいい。いっしょに行った妻と二人で、その場のよさに勝手に盛り上がる。全集掲載の写真によれば、歌舞伎役者を思わせる立原道造。しかも生れが日本橋の大店の長男。場所もそんな道造に相応しいのではと思いは広がる。

 立原道造は、今も筑摩から全集が刊行されている詩人。文京区には記念館もある。近代詩の世界ではポピュラーな詩人だろう。しかし、参加者の中のある方が「道造を好きだというと、あんな感傷的なものと言われる」とおっしゃていた。私もそんな意見に惑わされていたのだろうか、まとめて読むのは今回が初めてだった。あいもかわらず、初心者のつたない感想を思いつくまま以下に書いておくことにする。

 ポエカフェに向けて読みはじめたのだが、最初のうちは、正直その魅力がどこにあるのか今ひとつ掴みきれなかった。しかし、読み進めていく中で、ふと気がつくと、道造のことばが、しずかに、静かに、心に降り積もっていることに気がついた。きらきらひかりながら、悲しみといたみをともなって、でもつめたくはない。それはこころを少しやわらかくしてくれることばだった。

 その時、ふと思ったのは、道造の詩は1篇だけでなく、詩集として全体を読んでいくものとして書かれているのではということだ。しかもせの世界はたんなる感傷的な世界ではなく、一つの世界を構築するという明確な意志のもとに造り上げられているのではなかろうかということだ。その透明な世界の中、聞こえて来るのは道造の声だけに思える。それゆえの透明さとも思える。「こんな世界をつくったけれど、こちらへ来ないか?」と呼びかけられているようにさえ感じた。

 こんな感じを持ちながらの参加だったが、そこであらためて気になったのが建築家としての側面だ。妻は「ヒヤシンスハウス」からコルビジェを連想していた。人にやさしい設計の気がするとも。優秀な建築家としての才能を評価されていた道造。詩の世界も一つの意志によってしっかりと構築されているのではないかと感じる。見かけは柔らかく、しかししっかりとした構築物。建築と詩の底に同じものが流れているのだろうか。

 詩集自体が一つの構築物ではという感を深くしたのは、参加された方が持参の第1詩集『萱草に寄す』の復刊本を見たとき。後日、図書館でもあらためて見てみたが、装丁は楽譜を思わせるものとなっている。サイズも見た目もである。共通のカットが配され、詩が1篇ずつおもいのほか小さめな活字で配されている。第2詩集「暁と夕の詩」もサイズは同じ。表紙が異なるものもあるが、こちらも楽譜を思わせる装丁のものもあるとのことだ。一つの楽譜としての詩集。それは全体が演奏されるとき(読まれるとき)一つの作品として完結するということなのかと、想像をたくましくしている。

 さきほど、道造が自ら作った世界に読者をさそっているように感じると書いた。それを感じたもう一つの理由がある。それは、筑摩版の全集第2巻に収録されている手作り詩集を見た時のことだ。この全集では手作りの感じを残すために、活字に起こさず、写真版の影印が使用されている。そこで道造の肉筆をみることができる。その文字の一つ一つから、読む者へに訴える大きな力を感じた。それは活字からうける印象とはまったく異なるもののように思えた。中でも「散歩詩集」では、着色された文字、カット等、道造のデザイン感覚が溢れている。

 そもそも一人の読者のために、手作り詩集を作成すること自体、特別な力が入っていると言えるだろう。印刷された詩集でも、道造は一人一人の読者に向けて語っていたのではないかと、このことからも思った次第だ。

 長くなったが、一つ気になることが残った。それはもし道造が長生きしたとしたら、その後の日本でどのように生きたのだろうかということだ。「長生きした道造の姿が思い浮かばないというようなこと」話しておられた参加者がおられた。道造に詳しい方のことばだ。道造が造り上げた透明名世界。道造が一つの意志をもって構築した世界は、その後の激動する日本の歴史の中で堪ええたのだろうかということだ。


 

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ポエトリーカフェ参加の記3(山村暮鳥)

 前回の更新から20日たってしまった。本は読んでいるが、ブログを書く機会を逸したまま時間ばかりが経っていく。気がつけば5月のポエトリーカフェの時期。今回も参加できたので、前回に続いてポエトリーカフェ参加の記をつづっていこう。

 詩姫Pippoさん主催のポエトリーカフェ(略してポエカフェ)も第8回になった。(ポエカフェについては、こちらのPippoさんのサイトをご覧ください。)当日の様子については、Pippoさんのブログに記されている。

 今回、参加者はすべてリピーター。しかし互いに初対面の人もいる。少しずつ参加者が増えながら、定着していっているようだ。Pippoさんによる詩人の生涯の紹介が詩の朗読を挟みながらなされていく。参加者がその間、自由に発言しながらの、にぎやかな進行。Pippoさんの準備に毎回驚かされる。かなりの作業量のはずだ。二時間があっというまに過ぎていく。

 今回取り上げられた詩人は山村暮鳥ひとり。Pippoさんの朗読CD「てふてふ二匹目」にも4篇が収録されている。この朗読もとてもよい、私自身もこの朗読を聞いて、現代詩文庫の山村暮鳥詩集を手に取った。このブログにもごく簡単な感想を書いた(こちら)。

 その時には、暮鳥の詩と信仰の関係が気にかかっていた。キリスト教(聖公会)の伝道者だった暮鳥だからだ。今回のポエカフェにむけて作品を読んでいく中で、そのことももちろん気になった。しかし、それ以上に暮鳥の詩の魅力に惹かれていった。第二詩集となる『聖三稜玻璃』において、当時としてあまりにも前衛的であったその作風は悪評の嵐にさらされた。暮鳥自身が「卒倒した」と言っているほどである。その後、大きく作風を変化させるが、その作風の変化にもかかわらず、一貫してある一つの魅力を感じた。
 
 「やわらかい力」とでも表現したらいいのだろうか。作風を越えて、読む者の心にやわらかに入ってくる力を感じた。『聖三稜玻璃』の詩篇であっても、声にだして読んでいくとき、そこにあるイメージが自分の中で広がり、またそのイメージの中に取り込まれていく経験をした。それは、決して荒々しいものではない。イメージの中にここちよくいられるのだ。

 ポエカフェでは、事前に希望しておけば参加者が自分の好きな詩を1篇朗読できるのだが、今回、大胆にもチャレンジした。そのために『聖三稜玻璃』の中の詩をいくつも声に出して読んでみた。そのとき、印刷されたものとして見るよりはるかに、そこにあるイメージが親しく近づいて来るのだ。「妄語」を朗読したが、一見なんの意味の脈絡もなく続くかに見えるイメージだが、暮鳥はおそらく言葉だけのイメージではなく、実際に見ているイメージを言葉にしたのではないかとさえ思えてきたのだ。

 その力の背後に、キリスト教の伝道者としての暮鳥の生活があった。それは苦難の連続の生活であった。その中から生まれてくる詩。時に、神へストレートに疑問をぶつけることもあるが、それでもその「やわらかい力」は失われない。キリスト教の立場からすると逸脱しているかのように見える詩もあるが、それらすべてを含めて、暮鳥の信仰と詩の関係があらためて気になってくる。

 暮鳥は詩だけでなく童話も書いているが、今回のポエカフェでも「ちるちる・みちる」が紹介された。復刻本も紹介されたが、とてもやわらかい色合いのすばらしい装丁だった。童話といわれるが、詩としても読める作品集と言えるだろう。今回は紹介されなかったが「鉄の靴」は伝道者としての暮鳥ならではといった作品。そこにあるエピソードの下敷きとして聖書の記事がいくつも使われている。童話作者としての暮鳥にも興味をひかれた。

 それにしても、卒倒するような悪評にさらされたとはいえ、なぜ『聖三稜玻璃』の世界をすてたのであろうか。どうしても気になる。答えは得られないのかも知れないが。

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ポエトリーカフェ参加の記2(萩原恭次郎、高橋元吉)

 文系ファンタジックシンガーで近代詩の復興運動に熱くとりくむ詩姫のPippoさんが主催している「ポエトリーカフェ(略してポエカフェ)」の第7回に参加した。遅くなったが、参加の記をUPしておく。今回取り上げられたのは、萩原恭次郎と高橋元吉の二人。萩原恭次郎は、詩集「死刑宣告」が復刻されていることもあり、ある程度は知られていると思うが、高橋元吉は、アンソロジー以外では作品を目にすることの出来ない埋もれた詩人だろう。(参加者のほとんどが知らなかった)
 いつものように、詩人の生涯を紹介しつつ、朗読と詩の解説をはさんでいくスタイルで進められて行く。参加者がその間、自由に突っ込みを入れたり、私見を披露したりと、にぎやかな進行。初めての方もいるが、一つの詩を媒介に、互いに話し合えるのは、Pippoさんの進行のうまさとともに、詩というものの力かと今回も、あらためて感じてる。詩についてまだまだ詳しくない私でさえ、ずうずうしくけっこうしゃべっていたりするのだ。
 さて、二人の詩人について浅学な者の雑感を少し記しておこう。
 萩原恭次郎は『死刑宣告』の序で「第一期の私の意識的破壊の運動を全芸術に投弾し」と宣している。そこから『断片』を経て『もうろくづきん』に至る萩原恭次郎の生涯はあまりにも鮮烈。視覚効果をこれでもかと盛り込んでいる『死刑宣告』からは恭次郎の熱い思いがまさに爆弾の破裂のごとき熱風をもって迫ってくる。あたかも朗読を拒むかのようなその詩も、Pippoさんと参加者一名の朗読によって、音声による顔を見せてくれた。おさえて読むか、突き抜けて視覚効果を大胆に朗読に反映させるか、考えさせられる。
 まったく異なる印象を与える『もうろくづきん』の背後にある状況を思う。時代背景抜きにしては、この詩の重さは伝わらないと、話し合いを通して思う。表現は大きく変わりながらも、社会に対し向き合い続けた恭次郎がいる。彼の詩を読んで、詩のことばと思想がせめぎあっていると感じた。今回あまり話し合う時間がなかった『断片』の時期を含め、「社会状況」との向き合い方が恭次郎自身の中でどう変わっていったのか考えさせられる。今回は触れられなかったが、彼の歩みの先に思想的転向といわれるものが現れる。そうせざるを得なくなる何かがその中で見つけられるのだろうか。恭次郎だけの問題にとどまらない何かが見えて来るようにも思うのだが。
 高橋元吉は、Pippoさんからの資料と、いくつかのアンソロジーからひろった詩だけしか読む機会がなかった。恭次郎と同郷、同時代の詩人だが作風は全く異なる。生前に自らの意志で世に出した詩集は二冊のみという。書店の主人として生涯をおくった元吉。生き方も恭次郎とは全く異なる。その柔らかな表現のむこうに何があるのか、とても気になる。Pippoさんのいう「ゆるぎない思想・哲学・詩」の実態をもっと多くの彼の詩を読むことで実感してみたい。今回は間に合わなかったのだが、図書館に高橋元吉詩集をリクエストしている。早く手に取り見てみたい。

 ポエカフェに参加すると、読みたい詩集が増える。恭次郎はいちじ距離をおいていた詩人だった。それは魅力が強すぎると感じたからだ。しかし、このような場であらためて読む機会が与えられたことに感謝したい。語り合うことで得るものの大きさをあらためて確認した次第だ。

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